ハウス・オブ・グッチ/リドリー・スコット監督
グッチ家の物語と言っても、おおよそ僕とは相当距離のある無関係ぶりなのでいったい何のことだ、ということにはなるが、しかしそれでもなお、グッチというブランド名は知らないではないのである。それにこの映画を観て改めて思ったが、イタリアにおいてもグッチという苗字は、それなりに珍しいものであるようだ。イタリア人の名前に詳しい訳ではぜんぜんないが、そういわれてみるとこのブランドのグッチさん以外に、グッチという苗字の方をお見受けしたことは無い気がする。
ということで、運送屋の娘が、あるパーティでグッチという名の青年と出合う。そうして二人は恋に落ちるわけだが、グッチ兄弟が経営している弟の一人息子であることで、父親はこの結婚には猛烈に反対する。資産目当てであると考えたからだ。それでも考えを変えなかった為グッチ家から追い出された息子は、この娘の親の経営する運送屋で働くことになる。しかしながら後に娘が生まれ、事実上家族となったことによりグッチ父の気も緩み、親子の仲たがいは終わるのだが、経営権のもとである株の半分は、もう一人の叔父さん家族が握っている。それでもグッチ家の莫大な資産を思いのままにできる立場となった嫁は、グッチブランドの支配をかけて、占いの言うことを聞きながら、コマを進めていくことになるのだった。
これだけの変なお家騒動にもかかわらず、これまでドラマや映画化されなかったことの方が驚きかもしれない。満を持して大御所職人監督のリドリー・スコットがメガホンを取った訳だ。それで面白くならない筈は無い訳で、なんとまあ、よくもこんなお家芸のずさんな人間関係があったものか、と考え込んでしまった。金を持つというのは絶大な権力を持つことと同義だが、しかしながらそれで何をやってもいいということにはならない。金持ちボンボンは結局経営能力が無く、いとこも同じく馬鹿である。しかしブランド力は強力で、それを欲しがる勢力はしたたかなのだ。
歌手のレディガガが主役を演じていて、それなりの迫力がある。単なる話題集めのようなものだと思っていたが、イタリア娘からの恐ろしい欲望の女として、なかなかの怪演であろう。
グッチのブランドは貴族などの特別階級のためのものなのだろうが、日本などの金持ち(というか日本の場合、そういう訳でも必ずしもないのだろうが)などからも分かりやすい高価な象徴となったことで、さらに高額で売れる商品へと成長したと言えるだろう。何故人がこれを欲しがるかと言えば、それが持っている人への羨望へとつながっているからである。しかしながらその大元のブランド家には、さらに大きな問題があった訳だ。
ということで、さすが職人監督さんだな、という出来栄えで、少し長いがダレることなく楽しめた。いい気分にはなれないだろうが、ある意味人間らしい物語かもしれない。