カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

豊かさと貧しきこころ

2006-06-14 | 雑記

 朝からスパムメールを削除する日課である。月曜は特にひどくて、今週は200通あまり。今朝は70通だよ。いやんなっちゃうね。昔はメールが来てると嬉しかったけれど、おかげでちっとも嬉しくなくなっちゃったよ。
HPにメールアドレスなどを公表すると、そういうアドレスを検索できるソフトがあって、それを元にメールを出すということらしい。他にも方法はあるのだろうけれど、僕はそういうこと自体は詳しくない。ある意味ではご苦労なことではあるが、こちらだって苦労する。
しかしながらどんどん削除するのは不安も付きまとう。宛名がなかったりするものは遠慮なく削除するので、知り合いのものも削除した可能性は捨てきれない。実際そういうこともあったようで、不義理をしている可能性がある。それでも削除せざるをえないのは、スパムに付随するウイルスが怖いからである。開かなければほとんど心配ないという話を聞いたことがあるので削除しているわけで、不義理よりパソコンの調子、ということもいえるのかもしれない。なんだか自分が人情味のない人間のように思えてきた。僕の中の冷酷の発見である。
添付のないメールならそう簡単に感染しないという話も聞いたことはあるが、誰が言っていたことか忘れたのでとりあえず信用していない。「君子危うきに近寄らず」である。僕は冷酷なだけでなく鳥の心臓をもっているらしい。普段は「石橋を叩いて渡る」なんてことは落ちてから考えるタイプの生き方をしているくせに、我ながら矛盾している。
それにしても出会い系関係というのだろうか。その手の客引きメールがこれだけ存在することは脅威である。宛名が女性の名前で「連絡をまっています」というオーソドックスなものから、編集部のようなところから「100万円当選」というようなものまで多彩である。一時期(今もだけど)人助けと称して性の相手をして欲しいという趣旨のものが大量に来たが、やはり効果があるということなのだろうか。ある意味では意表をついて上手い手法といえたかもしれないが、これだけ大量に来ると、流石にネタバレだということもある程度は知っているのではないかと思うのだが…。こんなのに引っかかるのはバカ野郎だ、なんて思っている(だろうと思うよ)くせにコツコツこういうコンテンツを作っている人がいるという卑屈さに呆れてしまう。
聞くところによると出会い系サイトを紹介するまでが仕事のスパム配信業者もあるらしい。僕は調べ方は知らないが、一度海外のサーバーなどを経由して(実は仕組みがよくわかんないんだけど)配信しているということも聞く。自分が見つからないようにして大量のメールを出すというのは真に卑怯な行為だと思うが、やはり商売なのであろう。いや、厳密にいうと詐欺幇助のようなことなのだろうが…。
メール送信に関しては、お金がかからない(厳密には電気代がかかるが)上に、匿名性という盾がある。それでも調べる方法はあるのだろうが、僕のような人間にはそういう複雑性にチャレンジする勇気が足りない。そうすると、こういう被害は実際に被害にあわない限り、当局(ってどこだろう。本当に世の中複雑だ)が摘発するというようなことはないのかもしれない。いつまでも泣き寝入りかスパム対策。というわけで、毎朝メールを削除する日課は、現代人に科される任務となったのである。

職場でも毎日大量のダイレクトメールをゴミ箱に捨てる。最近は燃やせないので、処分にお金がかかっているわけで、被害があるという考え方もできる。営業の人も、本当に山の中までご苦労さんというぐらいたくさん来る。そしてせっかく来た所為か、結構しつこい。本当に時間がもったいない。必要なものを買うということより、不必要でも買わせたいということなのであろう。物を売るということが、それだけ供給過剰になっているということだ。僕はあるとき100円ショップにいって大量のものに囲まれていて、更に欲しいものがない状態におかれて、ふと考えてしまった。買うことが絶対的に可能であって、それでも買わないという消費者にものを売らなければならないという社会システムになっているのである。これでは商売が難しいわけである。
一方では売れるものというものは確かに存在するわけで、営業元では恐らく上司がそのように発破をかけているに違いない。仕事とはいえお気の毒である。日本人の平均寿命を下げるほど自殺者が増えたというが、無理を強いられて脱落した人もその中にいるのではないか。更にお気の毒な気がしてならない。何も死ぬことはないではないか。
先週聞いたセミナーでは、コンビニで廃棄される弁当が日本全国でウン千億円という計算をしておられた。本当かもしれない。過剰でもったいない限りだが、それを顧客サービスだからとか、最新の経営戦略だというのかもしれない。客のニーズにこたえる正義の前では、仕方のないことなのだろうか。つれあいは、こういう現実を前に「日本は、いつかバチが当たるにちがいないと思う」といっていた。どんなバチかはわからないけれど、僕は彼女の予言能力を知っているので、更に恐ろしい。細木数子より恐ろしい。
スパムメールからだいぶ展開してしまったけれど、こういう社会システムは、結局崩壊する運命なのではないかと思う。日本の豊かさはこのままでは間違いなく崩壊するのではないかと危惧するものである。しかし、ものがあふれたままでもったいないを教育することは、実際上困難だ。何しろいくらでも供給可能なのだから、実際にはリサイクルするなどしたほうがコストではもったいない、なんて笑えない現実があるくらいだ。
最近ではロハスなんてこともトレンドとして言われているけれど、モノは過剰とはいえ精神性は貧しいのだから、実行する人は、やはり限定的なものになるのではないか。また、単にマーケットの開拓としてロハスを利用している感じもして、やっぱり食指が動かない。僕個人としては、もう少し純粋性を求めたいところである。
それにしても靖国参拝で中国貿易が冷え込み、いくら損したとソロバンを叩く世論のある国である。いや、そう考えたっていいけれど、僕が気がかりなのは、そういう議論の方が難しい問題を議論するより人を説得してしまうような気がすることである。そういう感覚はなんとも嘆かわしい限りだが、そんなこといわれても損は損だと反論するのだろうか。そんな考え方のほうが、貧しいと思うけどねえ…。
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気分を変えよう

2006-06-13 | 音楽
 今日は日本中どこでもこの重苦しい空気なのかもしれない。恐らく金輪際オージービーフを口にしない人(少なくともそういう気分)も増えただろうし、下手をするとその影響でアメリカの牛肉輸入再開の踏ん切りがつくかもしれない。サッカーは政治じゃないとあえて断ったのは、政治になりやすいためである。世論というのはつまるところこういう気分のことだとなんとなく思う。

 さて、こういうときは音楽で気分を変えよう。ひとつはKまちゃんから探してくれといわれてた名曲「雨をみたかい」/CCRである。実はどうしても曲名が思い出せなくて悩んでいたら、つれあいが携帯から簡単に探し出してくれた。悩む時は他人に打ち明けよう。

もう一曲は怒りのアメリカ。ディクシー・チックス。保守の支持で人気を誇っているカントリーバンドなのに、真っ向から反発して全米一位になってしまった。聞くところによると、いまだに反発も激しいらしく、コンサートチケットを買い占めた上に当日キャンセルするなど嫌がらせを受けているらしい。保守というのはどこの国も子供っぽい。しかし、その子供っぽい暴力に対しても、いつまでも反発し続ける根性と力強さがあると、逆に更に大きな支持を広げるところがアメリカ流なんだろう。非国民でも生きていける国なのである。
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共感の効用

2006-06-12 | 雑記

息子がカッターナイフで怪我をする。指の腱まで切れているということで、緊急手術となる。
待っている間にもなかなか落ち着かない様子で、なん針縫うのかとか、アレルギーがどうだとか、しきりに質問してくる。おとなしくしていると思ったら、動揺して吐き気がするなどと言い出す。「大丈夫」とは返事をするが、どうしたものか。
奥の方で別の子供の泣き声がしている。どのような状態かはわからないけれど、激しく泣いている。「お互い大変そうだね」と声をかけると、急にニコニコしだした。精神状態は何が幸いするかわからないものだ。同じ不安を共有する共感が、逆に気持ちを落ち着けることになったわけだ。
手術は無事に済んだようだ。しばらく神妙にしているように見えたが、家に帰ると飛び跳ねている。今年はプールは駄目かなあ、などと心配している。こちらとしても後遺症が残らないかなど心配が無い訳ではないが、こういう経験が息子の人物を形成するんじゃないかとも思う。
ともあれ、不自由な夏の始まりである。なんとなく不憫ではある。実は最近キャッチボールを心から楽しみだした感じだったので、僕のほうが残念なのかもしれない。怪我しても面白い遊びでも考えることにしよう。
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充電の買物

2006-06-12 | 散歩

この間の東北取材の際、強風のため僕の発言した音声が聞き取りにくかったということで取り直しの予定であった。農繁期なので時間がとれずやっと調整可能となったが、あいにく曇り空。僕としては締め切りにご迷惑をかけるのもどうかと思い、断念する。資料作りもそうだが、準備に時間をかけたほうがいいものができると思う。柔軟さも必要だが、〆切が延びるのは結局不十分さを残す要因になりかねない。
とかいって、時間が空いたのでテレビを見たり雑誌を読んだり、息抜きが増えて嬉しかったというが本音です。
散歩も少し遠出して、富の原企業群を散策する。スーパーでつれあいと待ち合わせて迎えに来てもらう。帰りにDVD返却。今回も全部は観なかった。最近根性が足りない。
買物し忘れがあるとのことで、スーパーをハシゴ。K平さんご家族とばったり会う。K平さんは、「今日は知り合いと三組目だよ」とおっしゃる。みんなうろうろしておるな。それぞれいい休みだといいな、と思う。休みの買い物は十分娯楽なんだと思う。
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後ろめたさと美味しさ

2006-06-12 | 雑記
お祝いの席に祝い金を持ってゆく。軽く懇親会があるが午前中からワイン。ご列席のみなさんしばらく顔を見合わせたあと、ごくりと飲んだ。たぶん共犯の意識ではないか。うるさい人が読むといけないが、みな帰りは車のはずである。
聞くところによると、昼酒は後ろめたい気分が旨さを更に演出するのだそうである。うーむ、確かに旨い気がする。もう一杯とお酌してくれそうになるが、自制してお茶を飲む。そうすると、みなさんするすると「私もお茶」といつの間にか紙コップと入れ替わる。なんとなく悪いことをしてしまったような気がする。やっぱり本気の酒モードではないのである。
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ワールドカップ先進国

2006-06-11 | 時事

 定期的な休みは休みとして休まねばならない。いつも働いているやつは一種の「ふうけもん」である。よくわからない人は、それなりに考えてみてほしい。意味がわからない人も同じように考えてみよう。僕はいつも答えを書いている。
 ワールドカップが始まって、サッカー三昧の日々が始まる。いつもテレビのチャンネルをひねると、サッカーの試合を見ることができる。これって、最大の娯楽界の贅沢ではないか。すべての試合が面白いこと請け合いなのである。格がどうだという話があるのかもしれないけれど、はっきりいって、ワールドカップは、いつも決勝戦のようなものなのである。駆け引きは確かにある。それでも勝たなければどうにもならない。そういう切羽詰った感情の戦いとしてみても、見逃すことは惜しいような気がするのである。自国のことは代理戦争。しかし、サッカーの面白さは、政治じゃないと僕は思う。
日本の放送局は大方公平でまずまずだと思う。アメリカだとこうは行かないんじゃないか。遅れてきた参戦国かもしれないけれど、そういう態度は先進国だと僕は感じている。
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田植えとか知性とか

2006-06-09 | 雑記

 田植えだったので早起きして出勤する。道路もすいていてスイスイ走る。交通渋滞は車が同じ時間に同じ方向に行きたいという欲望があるからだ。
 苗箱を抱えて畦を歩く。この時期よその田んぼも同じように田植えをしている。みんな張り切っている感じがみなぎっている。「おーし、やったるで」という気合がびんびん伝わってくる。ご近所を歩いていて人とすれ違うことはまれなことだが、この時期だけは違う。どこにでも人が出てきていて、物凄いお年寄りからよちよち歩きの子供までみんな外に出てどこかに行こうとしている。過疎地帯にも人は住んでいる。特に田植えの時期には…。
 ぽつぽつ雨も降り出して、すっかり田植え日和だ。植えやすいように水の調整を見てまわって、大名である田植え機のご到来に備える。すっかり準備は整って、熱いお茶をすすって気持ちを整える。
 代掻きの終わった田の中をイモリが静かに這ってゆく。今から嵐が来るんだけれど、一時の静けさを謳歌するがいい。

 実は事務仕事が残っていてそちらに戻らされる。
 問い合わせがあって調べて返答しようと思っていたら、肝心の電話番号がわからない。手帳台帳いろいろ調べて検討をつけて電話すると、そこの人ではないという。かなり混乱して考えてみると、ちょっとした勘違いであった。4月の移動でかわった人と、ある職場を退職して転職した人を勘違いしていた。僕に問い合わせてきた人は転職した人で、彼は自分の名前(苗字)しか名乗らなかったので同名の人で移動したと通知があった人と勘違いしていた。問い合わせてきた内容も、移動先と関連のあることだったので、勝手にそこの事情と照らし合わせて考えていた。あらためて彼の前の勤め先に電話して、新しい勤め先を聞いて、やっと解決。「いや、あの人は電話魔で、ちょっと疑問があると誰ともなしに電話しまくるんですよ」と元職場の人は言っていた。電話を受ける人は混乱するが、勉強熱心なのだろう。ある意味では見習うべきかもしれない。

 山形浩生が、今までの知性というヤツは知識を広範囲に知っていて体系的に整理されているかが問題だったが、今はグーグルをググって、ごみ情報にフィルタをかける方法を知っていれば80点。ということを書いている。これでは教育というものは根本的に見直さなきゃいけないかも、っていうことらしい。しかし、そのフィルタをかけるという知性(判断力・もしくは運か)は、技術なんだろうか。
 小谷野敦のブログにも、ウィキペディアの情報のひどさが書かれている。だからネット情報は信用できねえ、ということを言いたいわけじゃないけど、結局知性がないと情報は扱えない時代なんじゃないかという気がする。ある程度知っている人の情報で判断されていることが、未熟な判断であるにもかかわらず、定着するということもあるのではないか。たとえそれが、間違いだったとしても…。

 ワールドカップの予想の話をしていたら、まるで戦争にふみ切った頃の日本と同じだという意見が出た。まったく物量が違うとはわかっていただろうアメリカと戦争した時は、やっぱり勝つと思っていたのだろうか。
 いや、勝つとは思ってなくても、負けると思ってみるわけにはいかないんだという話もあった。「よーし、敵わないけどがんばるぞ」というわけにはいかない。絶対に戦わなければならないということは決まっているのだから、逃げるわけにはいかない。ま、そういうことだな。せっかくのお祭なんだから、気分に酔っているものの勝ちなんだろう。しかし、期待は絶望の種でもあるので、ほどほどにしようね。
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僕の憂国

2006-06-08 | 時事

小谷野敦の呼びかけに応じてJR東日本に抗議文を送る。
https://voice.jreast.co.jp/user_input.asp

来春から、新幹線・在来線特急の全面禁煙に踏み切る旨報道で知りました。
全面禁煙は社会的ないじめであると思います。私は喫煙者ではありませんが、全面禁煙の強引さと無機質さに恐ろしさを覚えます。無自覚に正当性があると考えているから、こういう結論に至る人間の暴力性が現れるのです。貴社はそういう配慮に無自覚であると表明しているようなものであると感じます。ぜひ実施には再考を促す為、抗議いたします。それが本来の顧客サービスとしての公的な会社の使命であるはずだと信じるからです。


僕は温厚な性格なので、抗議するって意外と難しいものだと感じる。面白半分ではないが、あんがい勇気もいる。放っておいても、見ない振りしても、実は遠い場所の話だから、すぐに自分自身に影響のあることではないのかもしれない。正直言ってわずらわしい問題に首を突っ込みたくない気もする。そういう意味ではちょっと二の足を踏んだが、こういう世の中の流れは本当に気に食わないのも確かだ。子供の将来のためにも、日本の憂国の士として行動をおこさねばならない。元喫煙者ほど愛煙家に手の平を返したように厳しくなるという。そういうことから考えても、僕の存在は貴重ではないかと自分で思う。
タバコの害が明らかだという論調もあるが、車の排ガスの害も明らかである。排気ガスを吸い込んで自殺する人もあるぐらいである。長年にわたり直接肺に吸い込んでやっと病気になる可能性程度に、ニコチンの害は影響力が弱いことが科学的に証明されている。そう考えるほうがどう考えてもまともな現代人の科学的態度だと思う。また、ニコチンの影響を受ける人と受けない人の個人差があることも分かっている。むやみに危機感をあおるのは恫喝行為に他ならない。人間としての品格にもとるのではないか。
勿論不快な人がいるということを考慮して、徹底してマナーを守るということは必要だ。公共性が高い場所であるからこそ、喫煙場所を確保する必要がそこに生まれるのである。禁止してあとは知らん、という態度は、一方的にマナーを無視するファシズムであろう。
また、悪癖であろうと、人間という生き物の証明である文化を守ることは大切なことだ。嫌煙運動は原理主義的なタリバンの破壊行動に似ている。それでは絶対に未来永劫解決はしない。人間の歴史がそう証明しているではないか。人類の将来のためにも、共存することが人間の叡智であろう。
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好きは実力を上げるか

2006-06-07 | 時事

 サッカーの日本の実力はどれくらいか、という話がある。一次リーグ突破の可能性はどれぐらいか、ということで考えるとどうなのだろう。
トリノ・オリンピック開催前のメダル獲得予想は大方10個以上といわれていたけれど、結果的に金一個だった。それぐらい予想は難しいともいえるし、期待が予想を狂わせたともいえる。アメリカのスポーツ雑誌の予想では、荒川とスピードスケートの加藤の二つだったそうだから、実際のところ客観的評価としてはそれぐらいだったのではないかともいわれている。
さて、サッカーではどうか、ということだが、はっきりいってさっぱりわからない。そういうところがボールゲーム面白さだと思うが、日本以外の国で日本が一次リーグを突破すると考えているところは少数であろうと思われる。人から見た自分の姿こそ実際の自分の姿なのであるから、実力はどうあれ確率はかなり低いと考えたほうがまともなようである。
それでも勝って欲しいとは思うけれど、逆にまったく順当だと思われているブラジルなどが負けるようなことになると、彼らの失望はかなり大きくなるのだろうな、とも思う。そういうところに気が引けてしまって、結局勝負に負けてしまうのかもしれないな、とも思う。人は奇跡に期待したいのだろう。
しかし実力の伴わない勝利は、結局歪みも生むような気もする。日本のように人口が多く、サッカー競技人口も多いような国が実力をつけると、世界はかなり脅威に感じるに違いない。しかしながらテニスやゴルフのように競技人口が多くてもちっとも世界的に実力が発揮されない分野もあるわけで、結局は向き不向きがあるということなのであろうか。
日本人にも過去に釜本さんのようなレベルのプレーヤーがいたわけで、肉体的に不向きなスポーツだとは言い切れない気がする。逆に伝統的に北朝鮮(今回予選で負けたけど)のように孤立しても強い国もある。結果がどうなるというのはそういう意味でもやはり難しいものである。
僕自身は軟弱なので、そろそろ優勝経験のない国が勝ってくれないものかと思ったりする。しかし例えばアフリカ勢が勝てないのは、応援にいけない人がほとんどというハンデのためだという気もする。そういう意味ではドイツ大会なので、ヨーロッパ勢にかなり有利な展開になるのではないかという予想ができそうだ。ブラジルは優位には違いないが、そういう意味でもあんがい優勝は逃すのではないか。しかし、個人的には不気味なのはグループEですね。勝ち抜いたところは調子に乗るんではなかろうか。逆に疲れてダメだったりしてね。
それにしても個人的に忙しい時期にこういうイベントが開催されるのは困ったことである。全試合観たいところだが、物理的に無理だし、できるだけ無視できるように努力をしたい。できるだろうか。
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ルールがないとダメなんだ

2006-06-06 | 雑記

 PTAの理事会で、公平な役員決めのルールについて議論になった。
要するに役を受けたくない人からの不満を、役を受けた人が聞いて不満に思うらしい。いろんな部会活動が始まって一年間の計画を練るのだが、その前にそういう愚痴から始まるらしい。というのも、各委員長さん方も、いろんな仕事を割り振ろうと思って会議に臨んでいるんだけれど、来た人たちは、時間作ってやってきたからには、これ以上なんもしたくないよ、と気持ちが張っているようなのである。確かにこういう役職は、仕事のための仕事という気もするので、それは正直な反応なのだろう。自分だけ損な役割をやらされている不条理を呪うしかないのである。
つまるところ組織不要論まで発展しそうなんだけど、じゃあいらないじゃんということで止めちゃうと、結局やっぱりこういう組織をつくろうということになるんじゃなかろうか。そしてそういうことをいう人はたぶんこういう組織には入りたくないという人なんじゃないかとも思う。逆に僕のように本当にこういう組織を必要としない人間は、必ず役をやらされることになる。地元の青年会議所にしたって、業界の協議会などの組織にしたって、僕はまったく不必要な団体だと個人的には思っている。しかし誘われて、そういうお前が何とかしろといわれる。僕が何も言いたくないのは、そういう事情だ。勘違いして欲しくないのは、そういう組織は社会的に不要だというわけではない。僕には不要だが、世間の要望には沿っているとは思う。浮世の義理があるので生きている証明として僕は参加しているわけで、そういう不条理こそが実社会という形なんだということで理解している。しかし、ホンネではやはりなくてもいいと思っているということだ。決して参加したくないという意味ではない。勿論参加したくないんだけれど、そういう気持ちから不要だといっているわけではないという意味だ。
さて、他にも役を逃げている人がいるので何とかしたいという心情を会議で決めてもどうしようもないと思う。誰かやらなくてはならないから誰かにしたいということではなくて、子供のために何かしたいということをスタートにしないとやはりどうにもならないのだろうと思う。それでもしたくないというのは、単なる人間性の問題なので時間をかけるよりないだろう。

もうひとつ、子供に昼の弁当を作らせようという意見も出た。そういうのが流行っているのだろうか。朝飯を食べさせない家庭もあるのに、そんなことができるかという意見も出た。そういう親はどうしようもないので、子供をしっかりさせなきゃならないと反論されていた。思わず吹き出しそうになったが、面白いお母さんである。がんばれ。いや、がんばられても、後々困りそうではあるな。
しかしながら、強い子供をつくろうとして、弱い子供を生産している気がするのは、こういう議論を聞いている時だ。確かに面白いとは思うけど、単に世間批判であろう。教育って煩わしい問題なのであるなあ。ホンネでは親の教育をしたいのだろうなあ。

白衣の問題があるというのもはじめて聞いた。子供の小学校では当番の人が白衣を着ることになっている。いわゆる配給のようなものだが、代々使うので、傷みが激しいということらしい。そこに転校生がやってくると、よその地区の学校では、白衣は個人のものというところがあるらしい。しかし、事情が違うので使えないらしい。個人で買える程度(帽子も入れて二千円ぐらいだという)なので、個人負担にしたほうがいいということであった。しかし、買えない子もいるのでやっぱり古いものを使いましょうということになった。足りない分は何とかしますと校長も発言していた。僕にはやはりややこしい問題だなあと思う。白衣なんて止めればいいのになあ。まあ、止めないにしても集団生活には、やはりいろんな決まりができる訳である。僕は何にも知らなかったなあ。校則なんてクソ食らえと思ってたけど(今でも思っているが)、どうしても必要な人たちがたくさんいるんだなあ。

上がりで飲んでいると、M下会長が自衛隊の飲酒運転で停職14日という処分に怒っていた。民間ならクビだ。ということらしい。M下会長は自営だから、クビにならないんじゃないかなあ、なんて考えて酔っ払った。公務員に風当たりが悪いのは今に始まったことではないが、世間的には随分深刻なことになっているのかもしれない。こういう空気は未来を変えそうな気がするが、あんまり考えると村上龍になりそうなので止めた。
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心の旅と精神疲労

2006-06-05 | 散歩
 昨週は東京へ出張。会議を終え食事を済ませて、我ながらミーハーだと思うが、誘われてホイホイついていって六本木ヒルズ見学。夜なのでということか、物凄い数のカップルに圧倒される。こりゃ来るとこ間違えたなあ、と一応思ったが、まあ、かまうことは無い。彼らもいくところがなかったのだろう。そういう意味では同類だ。
せっかくだから夜の街を展望し、アフリカ展というようなヤツも同時開催されており、怒りに満ちたアフリカ芸術もついでに観る。一言で言うとケバい。

翌日も研修会があり、跳ねて厚生労働省にご挨拶に行って、特にあんまりお話もなくて、(知った人が結構いて驚いた。最近よく来ている証拠だ。しかし、以前の仲間も出向していたのには改めて驚いた)なんとなく東京駅まで。役員をお見送りして、そうだ寅さんだ、と思う。

日暮里で乗り換えて京成線で柴又へ。やってきたなあ、と思うぐらい結構遠い。それなりに人だかりがしていて、そうではあるが遠くまで見渡せる。お年寄りばかりの集団なので、皆一様に背が低い所為だ。そして、皆一様に寅さんと口に出して話している。確認が必要な年頃なのだろう。

思ったよりこじんまりとしてきれいな通りを抜けて、帝釈天へ。こちらも思ったよりこじんまりとしていたが、それなりに立派である。もう少し足を伸ばして江戸川縁まで歩く。ついでに矢切の渡し船着場に行ってお年寄りを眺める。原っぱで青年が野球をしており、ヒロシはどうしてるかな、などと一応考える。天気もよくて気分もいい。

お土産は買うなといわれていたが、「とらや」の店内をのぞいていたら、執拗に団子を勧められるので、根負けして草団子を買った。明日までには食べてくれということなので、遠くから来ていることを見透かされた気がしたが、遠くから出なければ、たぶん僕のような人は来はしないだろうとも思う。

映画で何度も観てきたまちなので、池内淳子が喫茶店をしていた場所(今はもう無い)まで確認したりして大変に楽しかった。ある意味ではイメージとは違ったが、ある意味ではその通りと思って、満足もできた。心の旅なのである。
それにしても寅さんがなければたぶん絶対に来なかったろうなとも思えるわけで、これも何かの縁なのかもしれない。

最終便で帰り、子供のお迎えに心を痛めつつ振り切ってJCの理事会へ。更に夏越の会議で終わったのは午前2時。帰って焼酎午前4時。
流石に完全に疲労が蓄積した感じを満喫した。ソファーで寝ているつれあいには申し訳なかったけれど、こういう時は却って寝られないものなのです。
翌々日と体調不良だったが、無理がたたったのであろうと思う。そのまま元気だと却って危険かもしれないけどね。
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