kosakuの雑念

英語とか読書とか覚書メモとか思ったことなど

何もしなくても10年ぐらいすぐ過ぎてしまう。

2021-03-09 10:32:42 | 日記
最近はヒマもあるのでなるべく地上波テレビを見るようにしている。
ダラダラ長いだけで面白くもないが、費用効果を考えひねり出した挙げ句に芸人だらけクイズだらけなのだろう。
やはり諦めて恒例行事である震災特番でも見るかと思い見てみると、日常を取り戻すために歩みをすすめた人とそうでない人の落差が興味深い。
たぶん震災はその人の活動には本質的に影響しないのではないかと思う。
例えば定年後に何かを始めたり忙しくする人と死ぬまで何もしない人がいるみたいに。
別段良い悪しを言いたいのではないが、大災害を生き延びたのだからあとの人生は楽しむことだけに使いたいという人たちもいるし、生き残ったことを天命と考え残りの人生は他人を助けるために使うという人たちもいる。
不思議なことに人一倍働いてきた人ほど後者のようなことを言う。
だからとって前者が身の程知らずなどといいたいわけではない。
きっと嫌な仕事をずっと我慢してきたのだろう。
大災害のようなことが彼らのような人たちを開放したことはある種の行幸というべきなのか。
その代償は大きすぎるのかも知れないが。
いわゆるおばあちゃん子の女性がずっと祖母の津波での喪失を悲しんでいたが、自分も子供を持つことで何やら祖母の愛情をより理解したみたいな内容の番組もあった。
両親は働き詰めで祖母がその女性の面倒をみていたとのことみたいだった。
その両親がどうしているのかとかまるで出てこない。
確かに祖母は孫を物理的に面倒を見ていたのかも知れない。
しかし経済的に面倒を見ていたのは両親のはずだ。
自分が働くようになったら働くということの大変さと同時にきっと両親もその娘さんを食べさせるために必死にほうぼうに頭を下げて仕事をしていたことくらいは想像できるはずである。
ノンフィクションというやつは見ていて疲れると思うのはこういうとき。
画面に出てこない人物とか何やらどうにも気になる。
あるいは画面に写っているが一切説明がない何かとか。
そう考えるとテレビは案外面白いのかも。