2024 12月10日 (火曜日) ②
シリア アサド政権が崩壊記事が。
~~~~~~~~~
毎日新聞 余録には
「北朝鮮パイロットがイスラエルと交戦」。
米国防総省が発表したのは1973年の第4次中東戦争時だ。
通信傍受でエジプト軍のミグ戦闘機に
朝鮮語を話すパイロットが搭乗していることがわかったという。
~~~~~~~~~~~~~
▲極東からの空軍部隊はシリアも支援した。
翌年に訪朝した初代のアサド大統領は
再び朝鮮戦争が起きれば「シリア軍を送る」と
金日成(キム・イルソン)主席に約束したとされる。
その後も協力関係が続き、北朝鮮は弾道ミサイルも提供した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲次男のバッシャール・アサド氏が大統領を引き継いだ後も
化学兵器や核開発をめぐる北朝鮮の関与が疑われてきた。
2007年には寧辺の核施設そっくりのシリアの建物がイスラエル軍に空爆された。
=================
▲アサド大統領がロシアに亡命した。
金正恩(キム・ジョンウン)総書記は11月に「アサド王朝」が始まった
クーデターから54年を記念して祝電を送ったばかり。
突然の政権崩壊に76年続く「金王朝」も衝撃を受けているに違いない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲35年前、東欧社会主義諸国がドミノ倒しのように崩壊した。
金日成、金正日(キム・ジョンイル)親子は5度も訪朝した盟友の
チャウシェスク・ルーマニア大統領の処刑に震え上がったといわれる。
3代目も危機感を高めているはずだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲かつての東側諸国に限った話ではない。
🔵フィリピンのマルコス政権や
🔵ジンバブエのムガベ政権。
🔵難攻不落に見えた長期独裁政権も最後はあっけなかった。
「100年に1度」といわれる変革期。
民主主義諸国では政権与党への逆風が吹き荒れている。
権威主義国家も例外ではないのかもしれない。
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メモ
★シリアのアサド大統領とは?
眼科医から父子2代で50年以上の独裁
8日にアサド政権が崩壊したシリアでは、
父子2代にわたって50年以上、独裁政治が続いてきた。
アサド大統領は2011年に始まった内戦でも
国民に対し激しい空爆などを加え続け、最後まで恐怖政治をやめなかった。
~~~~
アサド氏は1965年、
父のハフェズ・アサド大統領の次男として首都ダマスカスで生まれた。
父親の後継者と目されていた兄バシル氏が94年に交通事故で死亡したのを機に、
眼科医として留学していた英国から呼び戻された。
その後、陸軍士官学校などで学び、後継者としての道を歩み始めた。
~~~~~~~~~~~~
00年にハフェズ氏の死去を受け、大統領に就任。
英国への留学経験があることなどから、
当初は民主化が進むのではとの期待もあった。
~~~~~~~~~~~~~~~~
ところがアサド氏は父と同様、情報機関などを使って監視体制を強化し、
反体制派を抑圧。自身はイスラム教少数派のアラウィ派で、
多数派のスンニ派住民を抑える形で統治を続けた。・・・ここでも宗教対立か!
~~~~~~~~~~~~~~~~~
11年に中東の民主化要求運動「アラブの春」の波がシリアにも押し寄せると、
国内では反政府デモが相次いだ。
だが、アサド氏は軍や治安部隊を使ってデモ隊を激しく弾圧した。
反体制派との内戦に突入し、自国民に対しても無差別空爆などを繰り返した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
国連人権高等弁務官事務所などによると、
内戦では21年3月時点で民間人30万6000人以上が死亡しており、
このうち約2万7000人が子供だった。
~~~~~~~
また、紛争を逃れて国外へ避難した難民も600万人以上に達した。
収容した政治犯に対する拷問や殺害もきわめて大規模に行われたため、
国民からの信頼はほとんど失われていたとされる。
アサド氏はダマスカスが陥落した8日未明、首都を離れたと報じられている。
🔵本日の記事ではロシアのプーチンが受け入れていたと・・・。
新聞には
シリア アサド政権が崩壊記事が。
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毎日新聞 余録には
「北朝鮮パイロットがイスラエルと交戦」。
米国防総省が発表したのは1973年の第4次中東戦争時だ。
通信傍受でエジプト軍のミグ戦闘機に
朝鮮語を話すパイロットが搭乗していることがわかったという。
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▲極東からの空軍部隊はシリアも支援した。
翌年に訪朝した初代のアサド大統領は
再び朝鮮戦争が起きれば「シリア軍を送る」と
金日成(キム・イルソン)主席に約束したとされる。
その後も協力関係が続き、北朝鮮は弾道ミサイルも提供した。
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▲次男のバッシャール・アサド氏が大統領を引き継いだ後も
化学兵器や核開発をめぐる北朝鮮の関与が疑われてきた。
2007年には寧辺の核施設そっくりのシリアの建物がイスラエル軍に空爆された。
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▲アサド大統領がロシアに亡命した。
金正恩(キム・ジョンウン)総書記は11月に「アサド王朝」が始まった
クーデターから54年を記念して祝電を送ったばかり。
突然の政権崩壊に76年続く「金王朝」も衝撃を受けているに違いない。
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▲35年前、東欧社会主義諸国がドミノ倒しのように崩壊した。
金日成、金正日(キム・ジョンイル)親子は5度も訪朝した盟友の
チャウシェスク・ルーマニア大統領の処刑に震え上がったといわれる。
3代目も危機感を高めているはずだ。
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▲かつての東側諸国に限った話ではない。
🔵フィリピンのマルコス政権や
🔵ジンバブエのムガベ政権。
🔵難攻不落に見えた長期独裁政権も最後はあっけなかった。
「100年に1度」といわれる変革期。
民主主義諸国では政権与党への逆風が吹き荒れている。
権威主義国家も例外ではないのかもしれない。
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メモ
★シリアのアサド大統領とは?
眼科医から父子2代で50年以上の独裁
8日にアサド政権が崩壊したシリアでは、
父子2代にわたって50年以上、独裁政治が続いてきた。
アサド大統領は2011年に始まった内戦でも
国民に対し激しい空爆などを加え続け、最後まで恐怖政治をやめなかった。
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アサド氏は1965年、
父のハフェズ・アサド大統領の次男として首都ダマスカスで生まれた。
父親の後継者と目されていた兄バシル氏が94年に交通事故で死亡したのを機に、
眼科医として留学していた英国から呼び戻された。
その後、陸軍士官学校などで学び、後継者としての道を歩み始めた。
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00年にハフェズ氏の死去を受け、大統領に就任。
英国への留学経験があることなどから、
当初は民主化が進むのではとの期待もあった。
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ところがアサド氏は父と同様、情報機関などを使って監視体制を強化し、
反体制派を抑圧。自身はイスラム教少数派のアラウィ派で、
多数派のスンニ派住民を抑える形で統治を続けた。・・・ここでも宗教対立か!
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11年に中東の民主化要求運動「アラブの春」の波がシリアにも押し寄せると、
国内では反政府デモが相次いだ。
だが、アサド氏は軍や治安部隊を使ってデモ隊を激しく弾圧した。
反体制派との内戦に突入し、自国民に対しても無差別空爆などを繰り返した。
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国連人権高等弁務官事務所などによると、
内戦では21年3月時点で民間人30万6000人以上が死亡しており、
このうち約2万7000人が子供だった。
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また、紛争を逃れて国外へ避難した難民も600万人以上に達した。
収容した政治犯に対する拷問や殺害もきわめて大規模に行われたため、
国民からの信頼はほとんど失われていたとされる。
アサド氏はダマスカスが陥落した8日未明、首都を離れたと報じられている。
🔵本日の記事ではロシアのプーチンが受け入れていたと・・・。
新聞には