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ジャズエイジのジャズ(その7)

「ティン・パン・アレイ」はベンチャービジネスから

アメリカのポピュラーミュージックを調べていると必ず出てくる「ティン・パン・アレイ」という言葉。
(細野さんたちのユニットの語源ですね)
しょうもないポピュラーミュージックの代名詞みたいにいわれる事もありますが、
20世紀アメリカを代表する名曲の多くはこのティン・パン・アレイに集っていた作曲家の手で書かれた、
というのもまた事実でありましょう!(な~んてにわか勉強で威張っていってます)

言葉の意味としては、20世紀初頭のニューヨークで多くの音楽出版社が集まっていた場所、
と言う事でいいと思うのですけれど、音楽出版社ってなんだ?という初心者の疑問、
音楽の権利を持っていて、それで商売している会社、という事でいいのかしらん??


さて、たぶんアメリカでも、19世紀には家庭でピアノを弾いて楽しむ、
という音楽の享受の仕方が定着していたらしいのですが・・・、っていうか、
放送も録音メディアがない時代なんだから、人を雇って弾かせるか、自分達で弾くしかないわけですけど、
その頃にはピアノと言う贅沢品を購入して、なおかつ、家族でそれを弾いている余裕があるという、
いわゆる中産階級という層が成立したいたのではないかと思うのですね。
(これは先日ご紹介した「音楽史の形成とメディア」などからの類推)
で、彼らが楽譜の購入者な訳ですけど、19世紀の終わりに、
「積極的に売り込んだら楽譜がもっと売れるんじゃないの」とか、
「俺の書いた曲のほうが絶対売れるのに何故出版しない、バーロー」
見たいに思う人たちが自分達で楽譜を刷って、人出のある場所に行って売り歩く(実演販売だね)、
といったことを始めたらしい。
(楽譜の印刷にはあまり設備投資が要らないことは先日ご紹介したです。)
これが物凄く当たって、「ラグタイム」もこういった出版社から流行になっていったらしいのですよ。
で、よりヒットさせるには有名歌手に歌ってもらったり、ショーで取り上げて貰ったりすればいいじゃないの、
と言う事で、劇場が多く集まっているNYの一帯にわさわさ音楽出版社が集まってきて、
日夜売れ線狙いのポピュラーソングが量産されるに至ったという訳です。

このティン・パン・アレイは、1920年代のラジオやレコードの出現と爆発的な普及言う荒波を乗り越えて
一大産業として成立し、主にブロードウェイのミュージカルと歩調を合わせて発展していくのですが、
トーキー映画の出現とハリウッドの隆盛に伴い、音楽生産の主導権を失って行ってしまった、
というお話がパシフィック音楽出版のページに詳しく紹介されていますので、
興味があるヒトは読んでみてください~。
凄い量で読むだけでも大変ですけど、ASCAPとかBMIの意味もわかるし、
音楽の「著作権」の原点を知る意味でもお勉強になるし、なにより面白いっ!です。

朝妻一郎さんの「ティン・パン・アレイの歴史」→ http://www.fujipacific.co.jp/history/

で、このティン・パン・アレイとジャズエイジの関係は、というのはまた今度ね。
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