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Less and More,or Less but Better
工業化社会を背景にしたシンプルで機能的なモダンデザインは、
装飾などで味付けできないだけに、ともすれば退屈な大量生産品となってしまう。
そこに美を宿らせうるのは、モダニズムの神に選ばれた才能だけではないか――。
ラムスさんの作品群に、そう確信せざるを得ない。
--アサヒコムの展覧会評(09年6月24日付)より引用(執筆は大西若人記者)
今日は久々にルーテシア君を出動させて、府中市美術館で開催中の
「純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代―機能主義デザイン再考」に行ってきました。
ブラウン社の家電製品は、バウハウス~ウルム造形大学直系の機能主義デザインで知られますが、
そのブラウン社のプロダクツデザインを牽引したデザイナーがディーター・ラムスです。
会場には19世紀末からのモダンデザインや、現在のプロダクツデザインも展示され、
自らのデザインの正統性を誇示しているともいえる構成になっています。
面白いのは一部でインスパイアされていることが指摘されているアップル製品が
会場の映像展示機材としてのみならず、プロダクツとして並んで展示されており、
ブラウン(あるいはラムス)の側からその「系譜」への回収が目論まれていること。
さて、問題はこれらの「プロダクツ」が無味乾燥で退屈なものでない、と言えるのか。
今回は「展覧会」なので残念ながらこれらの「もの」に触ることができません。
プロダクツは重さのバランス感やスイッチの感覚など、触ってなんぼなところがありますよね?
だから良し悪しを云々するのには無理があるのですが(結局外観の印象で語らざるを得ない)
その限界の中での感想としては、プラナリアには、特に70年代以降のものは
機能主義デザインの限界と退屈が顔を出し始めているように感じられました。
因みにアップルのデザインについて私見を申し述べれば、
一見シンプルで機能主義的に見えたとしても、その実、快楽主義的な
ある種のセンス・オブ・ワンダーが追求されているところが魅力なのではないかと思います。
こういったしゃれっ気はドイツ機能主義デザインには無いのでは?
消費に流されたデザインへの批評として
ドイツ機能主義デザインの魅力を再確認することには大きな意義を感じます。
とは言え、これらの機能主義デザインが限界に立ち至ったことも事実なのではないでしょうか?
朝日の評のようにラムスを神格化してしまうと、機能主義デザインの中にある可能性を
再度発掘することをかえって難しくしてしまうのではないでしょうか。
因みに展覧会の解説も妙に入れ込んでもったいぶっているように感じました。
ラムスのデザインを演出された展示空間でなく、日常の中で問い直して見たい。
(禅寺に並べる、っていうのも面白そうではあったけれどもね)
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