ちょろきんの戯言

主に毎日のごはん、イベント、想ってる小さなこと。

ハードな休日(其の参)最終章

2006-09-23 | おいら

 

夜の部は・・・・

呉にて『もっち先生を囲む会』が行われた。

最初のお話には残念ながら私は参加できなかったんだけど、(ゆこりんちであった)

そうそうたるメンバーが揃い、まぁ、喋りすぎてしまったさ。

 なので、写真を撮ってないとハッと気付いたときには何もない状態・・・・

これでも頼んだものがきてすぐに撮ったんだよ。

お初ではないけど、今までろくすっぽ、喋ったことのなかった人(kakoさん・Azukiさん)

この前すこーーしだけお会いした(あきさん)。

みんなガンバッテルんやわ~と思ったら私も意欲が出てきたよ。

生1杯でいい気分になり、食べ物もさほど口にせず、帰ったら小腹が空いたが、

麦茶を飲んで寝た

なんて、我慢強い私・・褒めてしんぜよう。。

しかしもっち先生、笑いすぎ

楽しい夜でした。。みなさんありがとーーー。

 

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ハードな休日(其の弐)

2006-09-23 | 家族

 

音戸を後にし、向ったのは私が生まれて10年間育った町、鍋(地名)。

ここでの思い出は私の人生の中でも濃いものとなっている。

鍋小学校に4年間通い、当時きよちゃんペコリさんが先輩として在籍していたことが去年判明し尚、びっくり

今日は鍋の祭礼。昨年はよごろからカメラ片手にヤブの追っかけを実行した私。

今年は流石に仕事上がりが早かったものの、元気がなかった・・

なので今日はお墓参りの帰りに、寄ってみよう・・・ってことになり。。

いやいや、それより私には大切なことがもう1つあったんぢゃ。

それはお醤油を買いに行くこと。

私が育った家の近くに古くから続くお醤油屋さんがある。

小さい頃から母がその醤油を使ってるから、私も結婚したときにはその醤油でしか味付けが出来んかった

どうも他の醤油だと味が決まらない色々な市販品で試してみたけど、これがダメなんよねぇ~別にグルメでもないし料理研究家でもないのに、お醤油だけはここの醤油が1番味が落ち着く・・

母が私に残した味のDNAか・・

で、このお醤油、3ヶ月に1度の割合でおばちゃんとおじちゃんが配達に来てくれてた。この春から私が仕事に出始めて前回はおばちゃんに逢えなかった。

逢えなかったけど、1本置いていってくれてたのが、ほんとあと少しとなり、煮物を避けてここ最近は献立を考えてたので、やっとの思いで醤油を買いに・・・

聞くとおばちゃんの足が悪くなり、近いうちに手術を受けるという。それで配達がままならなくなり、半年ほど広にも行ってないんよ~と言う。

それでか・・・3本あった一升瓶も無くなるハズぢゃ。。

久しぶりに行く醤油屋さんは懐かしい。しかもこの醤油屋のまん前の社宅に結婚してから私たち夫婦は4年半住んでいた。周り人たちは私の小さい頃を知ってる人ばかりで、楽しい4年間だった。そういう第2の思い出もある場所。

あまりにも久しぶりでしかも幼馴染の娘ちんも帰ってきてたので、蔵の中を見せてもらった。(こういう機会も滅多にないし。。)

 大豆を炊く釜

かなりデカイ横にあるのが長男の足。

五右衛門風呂どころの騒ぎじゃないし・・・・

しかもこの釜は地面よりした部分にくどがある。

蒔を使って大豆を夜通し炊くそうだ。あの大豆を炊く匂いは嫌いだったな・・

小さい頃、この蔵には何度か入ったことがあるが、ほとんど覚えてないので、すごく新鮮やった。ほんとは、もっと見せて欲しかったし、説明もじっくり聞いてみたかったが、囃子が太鼓がもうそこまで来てるのが聴こえてる私には、どうもそっちの方が気になって気にって・・

今度、ゆっくり見学させて欲しい。。。

お醤油や味噌が作られる過程を勉強したいわ・・

お願いよ、おばちゃんもおじちゃんも長生きしてね。ここの醤油が無くなると私は路頭に迷う・・煮物が出来んようになる。。。煮魚が炊けんようになる。。。

後継者を作ってよ~大変な仕事じゃと思うけど、引き継いでって欲しい伝統。。

1升瓶3本と麦味噌1キロ買ってこれで年末までバッチリじゃろ。

味噌は計り売りなんぢゃけど、みきこちゃんが『おまけしとくね~』と言ってくれたものの、計りの針は1.5キロ過ぎとるし。。おまけしすぎじゃないん

ありがとおぉぉぉぉ~みきこちゃん。また逢おうね。

 

ということで神輿も浜の宮(鍋桟橋近くにあるお宮のこと)に降りてきたというので、さっそくヤブに逢いに・・・わくわくドキドキ

 うーーーん。コレコレ

今年の当番地区は西区のようです。

宮の入り口でヤブが手に持ってる竹でバシっバシッとお払いするかのようにして太鼓や囃子が入ってきます。これも儀式なんやろねぇ~

それからの私はヤブの追っかけとなる。。。

 

 

 今日のヤブは神の使いなのでとても紳士的でおとなしい。。ヨダレ(面の名前)も今年初じゃ。

この形相がたまらんのよねぇ~ちーと暗く写ってしもーたけど。。

 とーやら、ここをみんなが廻るようです。巫女さんがいたので激写衣装は広と変わらない・・10月の末にはウチの長女もこの衣装を着て巫女をします。

 なにやら、箱がかつがれて来ました。これになんか鍵があるようです。

 神事が始まった模様。

やっぱりこの木箱は重要なもののようです。この氏子の中にさっきの醤油屋のおじちゃんを見つけました。お店におらんけーどーしたもんじゃろと思ってましたが、大事なお仕事で出ていたようです。

一通り、神事を見てヤブの写真も撮れたし、懐かしい人たちにも逢えたし帰ることにします。

あっ、子ども達とヤブの写真を撮ってなかった・・

 最初は『怖いけー行かん

と言い張っていた長男ですが、今日は暴れないということを知り、やっとついてきた。

写真も快く撮ってくれたので、母さんはうれしいよ

この後ヤブは長男の頭をナデナデしてくれました

今年もふるさとの祭りの一部を体験できて、幸せな私。

歳をとるごとにふるさとが気になり、年老いた近所のおばちゃんたちに逢いたくなる。

多分、自分の両親がもうこの世にはいなくてその当時を知る人が少なくなりつつあるからだろうと思う。来年もまたこうして見に来ることが出来たらいいなぁ~

夜の部も忙しいのよ、動かなくっちゃ。。つづく

 

 

 

 

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ハードな休日(其の壱)

2006-09-23 | 家族

 

今日はお彼岸・・お彼岸といえばお墓参り。

そういえば、長男が幼稚園の頃『お墓』という言葉をちゃんと発音できなくて、いつも

『おかは』と言ってなぁ~決まって『おかは参りにいく・・』って。あの頃は可愛かったのぉ~

いやいや、今回はお盆に行けなかった島周りのお墓参りをしたかったのよ

ずーーっと気になっててね。少し遠縁になるのでどうしても後回しになってしまう。

ご先祖に優先順位はあってはならないんだけど、ゴメンナサイ

まずはこなきの母方のお墓に行きます。音戸大橋を渡り、もう1つ早瀬大橋を渡ると大柿町という、今は江田島市なんかな

よーわからんあたりがいい加減な私・・・そしてここでは全然写真を撮ってないことに今頃気付く。。

で、帰りに音戸大橋のたもとにある、私の父方の祖父母と戦死した父の兄が眠るお墓に。。

 音戸大橋の駐車場にを置いて、こっから坂登りです。ここのお墓は昔のお墓なので、お水持参。。

これが結構重い・・

法専寺を過ぎて(たかちゃんのブログに出てきたお寺です。たかちゃんのお母さんとゆかりがあるこのお寺は小さい頃から私も遊んでいたお寺・・ここにも繋がりがあるようだ。。)

 古い町並みをとにかく上へ上へと上っていきます。坂がとにかく急なので明日足がガクガクブルブルにならんか、心配です。

上りきったところに、神社があります。名前はよー知りませんが、石段が新しいくなってます。

中学生の頃、家族でお墓参りにくる時、今は亡き父とよく色んな話をしました。

この石段でけが人がよく出ていた話。秋祭りになるとここのまつりは“ケンカ祭り”といって必ずこの石段でけが人が出ていたらしい・・その当時の石段はもっと、自然の石を組み合わせたものだったのを覚えてる。

 この石段の隣には門です。多分この門柱は父が通っていたころから変わってないんだと思う。(大正生まれの父ですが、ほとんど学校には行かず、漁師だった祖父の手伝いか山で遊んでいたらしい・・)

その反対側にはまたまたお寺が・・ 石畳もきれいになって、なんか風情のある町並みになってます。

私はこの界隈が大好きでした。小学生の頃、おじいちゃんちに行っては、神社で遊び、この坂道を下って遠回りして帰る。思い出深い場所です。

またまた坂をあがり、お墓まで一気に。。 だいだいがなっていたり、

柿の木も植わってたり なんか自然いっぱいです。

そしてお墓からの景色が絶景~

音戸の瀬戸が見えるとても優美な景色。

こなきが言います。“お義父さんはここに入りたかったかもね。こんなええ景色を見れたら喜んだじゃろーに。”

そう、父は漁師だったので、海をこよなく愛していました。

晩年、入退院を繰り返す生活の中で退院して迎えに行くと、必ず海まわりで帰ってくれや・・と言い、何度となく長浜経由で呉の病院から安登の実家まで帰ったことがあります。それも遠い昔の思い出になってしまいました。

お墓参りも無事済ませ、ちょっとひっかかっていた気持ちも軽くなり、ルンルンモードに入っていた私。

長男が“母さんう○ちに行きたい・・”と現実に引き戻すので、音戸大橋たもとにある

『うずしお』に駆け込みました。

ここには子ども達と2回ほど来た事があり、でもこなきはまだ未訪・・

なので少し見てみることに。

音戸町のことを紹介するいわば資料館みたいなところですが、私が1番好きなのは

 床一面にある音戸町の空中写真。空中というのかな・・空から撮った島全体の写真がとても見ていておもしろい・・

2階に上がると音戸の瀬戸を通る船の模型や5年に1度行われている『清盛まつり』

の衣装たちが展示されてたりする。

 父も私が生まれる遥か昔、この行列に出たことがあるそうで、なんの役だったかは忘れたが、よく母がそういう話をしていたなぁ~

この衣装たちの足元にあるのが

近寄るとセンサーで行列風景が動くしかけになってる。とーーってもお金をかけた部分なんじゃと思う。

子ども達はこの行列を見るのが大好きで、延々見ては喜ぶ。(今回はさすがに3回目の訪問なだけあってあっさりと行き過ぎたが・・)

外に出れるデッキがあってね。潮風を間近で感じることが出来るここも私のお気に入りの場所。

 だって、音戸大橋を通るこんな大きなフェリーが真横に通るんよ。目の前にあるのが清盛塚です。

このデッキがウッド張りで、ここちよい風が吹いて気持ちいーー。

しかも今日は先客がいた。

ウクレレの練習をしているおじさん。音色と海がいやにマッチしてたので、思わず声をかけてしまった。

独学でウクレレを始めて半年。自分で楽譜もみやすくアレンジしながら、いつもここで練習をしてるんだって。波多見から来てるとか・・1曲歌ってもええよ。

と言ってくださったが、『お嫁においで』とか『ALOHA OE』という題名にとてもついてはいけなかったので丁重にお断りした

後、音戸の舟歌の展示があったり(この歌も父の好きな歌だった。姉の結婚式の時父がアカペラで歌う民謡と知って、あまりの声の高さに度肝を抜かれ、兄と二人で恥ずかしくて席を立った。)盛りだくさんの資料館とあいなっております。

音戸町にお越しの際は是非、1度寄ってみてください。入館料は無料ですで。。

ここを利用すると音戸大橋下の駐車場代金も2時間までなら無料とっておりますでのぉ~。

さてさて、次の目的地に急がねば・・・で移動と思いましたが、こういう機会も余りないので、子ども達と一緒に渡船にのることに。。

こなきにはで橋を渡ってもらいましょう。。

 音戸の渡船。

私が物心ついたころからこの建物。赤いポストが懐かしい~

小学生の頃、ニッセイのおばちゃん自転車で今日も走る ふるーさとを~というCMでこの渡船口が出てたんよ。

よく知ってる場所だったから嬉しかったんよ~

ブラザーブラザーと銀色のミラーボールが廻る時間帯にやってた『刑事くん』とかの時間に流れたりしとったんよ。確か・・・何十年前の記憶か。。。

 この料金表も当時のまんま

数分待つと警固屋対岸から渡しがつきます。

 どうやら2人のお客さんが乗ってる模様。

乗り込むとどうやら私たち3人だけのよう。。

 正に船の舵にふさわしい舵なんよね。私も小さい頃、この位置からよー見よったわ。

フェリーに遭遇です。 渡しはフェリーが行き過ぎるまで待機。大波がくる予感です。

(ぢつは・・・私が小学校3年生のころ、一人でバスに乗って鍋から音戸の祖父の家まで初めて行くという体験をしました。その時にこの渡しに乗りフェリーが通り過ぎた後、大波で転覆するかと思うほど怖い体験をした記憶があり、一瞬『ここで溺れて死ぬかも・・』とマジで子供心に思ったものです。)

 波を横切りましたが、さほど揺れませんなーーんだ。。こんなもんか・・いや、あの時はほんまに水面がすぐソコに来たんよ。マジ怖かったんぢゃけー。 あっさりフェリーは行っちゃいましたこうして、島巡りお墓参りツアー&音戸町満喫編もほどよく終了し、本土に戻ってきた我が家族でした。

では、鍋のまつりにちーと顔を出しに行っときますか・・つづく

 

 

 

 

 

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