ちょろきんの戯言

主に毎日のごはん、イベント、想ってる小さなこと。

50回忌

2008-04-20 | 行事

 

今日は私の母方の父(祖父)の50回忌をお寺で行うのに、参加してきた。(ヘンナ日本語

母は一人っ子だったので、よく考えれば、今では私達兄弟しか法要するものもいない。

まぁ、50回忌となればお祝いらしいし、(50回でその故人に対する法要自体も終わりらしい)お墓に眠っているお骨も50年で水になるっていうよね。

確かに、私の父方の祖父の骨入れのときに骨壺の中が水になってるのを見た記憶がある。(私が中学校1年生の時)

水になる=土に還るってことかな。。

姉の調子が悪く今回は不参加。

義姉さんも大風邪をひいてるというのでムリをせず、不参加。

我が家4名と兄の計5名にてお寺に向かう。

 お寺自体お引越しされて中に入るのは初めての私・・

最近はイスなのねぃ。確かに長時間、正座してくのもツライもんねぇ。

ご住職のお話で心に響いたものがあったんで、書いとこ。。

回向(えこう)の話からあった文章。(以下、抜粋)

『恩』というものはいかなる時代であれ人間が人間たることの証である。

自分が「生きている」という前提には、私達はすべての衆生、天地、自然の恵みによって生かされているという事実がある。

この発想に立つとき、自分は、無限の慈悲につつまれていることを知るのである。そして、その時はじめて真実の意味での感謝の念が湧いてくる。

「報恩」とか「感謝」という言葉は、『私の恩に報いよ』とか『私に感謝しろ』といった

他を己れに向けさせるための言葉ではない。自らが他に対して、心の底から

『ありがたさ』を実感することである。自らがとてつもない大きな世界に生きていることにふれることである。

また『回向』という言葉もまさしくそれを示している。

なんか、心に響いたんよね。ご住職が読んだ紙をコピーしてもらってもらって帰ってきたさ。この人間の証をもっと大事にせんといけんのんぢゃ。。と感じました。

ねんごろに法要も終わり、お墓参りに行く。

野呂山の頂上付近はまだ サクラが咲いとりましたがな。やっぱり温度差はあるのね。。

お昼もとおに廻ったということで、、ごはんを食べに法事後には必ずといっていいほどくる、お店に。。

両親がまだ健在の頃も、よー来ました。ココ。

オットと結婚する前も両親と供によー来ました。

そーいえば、小学校の頃からこのお店はあって、建て替えをした後も

私の高校の合格発表の日もここでごはんを食べました。

その時座ったテーブルが今日、座ったテーブルです。

不思議なもので時が経てば、メンバーも替わりあの頃、何十年か後にこうして、私は親になり子を連れこうやって同じテーブルでごはんを食べるとは夢にも思っては

いなかったなぁぁ。としみじみ思いますた。

あの時と一緒なのは、私がお金を払ってないってことだけくらい。。

 久々でウマかった。海老定食。

かなりお値段の方は上がってましたが。。

自腹では食べには来ません。スポンサーがいるときのみのお店です。

 今日も瀬戸内海は穏やかでした。知らないカップルまで撮ってしまったわ。

 

 

 

コメント (2)
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