ちょろきんの戯言

主に毎日のごはん、イベント、想ってる小さなこと。

万さん送別会

2019-09-20 | トモダチ

 

かつて10年ほどお世話になった会社で、当時よく遊んでもらった万さんが定年退職するというので、オットの課の送別会の終わりに特別参加してきた。

あの当時は(私が退職してもう24年になるけど)課員も40名強、いて忘年会をしようものなら関連企業の方々も含めたら50名軽く超えるもんだから、ホテルでしか出来なかった。

それほど大所帯だった課。

フロアの中でも1番人数が多かったと思う。

その中で、40過ぎまで独身だったカレは、後輩たちの面倒見もよく、私なんて山口のご実家にまで泊まらせてもらったほどお世話になった。

よくつるんだよなー。そうだ、廻らないカウンターのお寿司屋さんに連れてってもらったのもカレだった。

ボーナスが出たけ、おごっちゃる。

と当時仲のよかったトモダチと連れてってもらった。

次のボーナスの時には私らがおごるね。とまたそのお寿司屋に行ったなぁ。そこで初めて納豆巻を口にしてそれから納豆が食べれるようになった私。

余り、生魚が好きではなかったので、お寿司屋さんに行っても味がよーわからん。おこちゃまの口でした。今ならわかるのに。まだ、20代そこそこじゃったけーね。

今の子どもたちのように、口は肥えてなかったよ。

 

そういう万さんだから、人望も厚く今回は本社や、阪神からも元同僚が参加するとのこと。

幹事のオットはなんか、サプライズをしたい。という。

退職したもとOLに声をかけて花束でも渡そうか・・・ということになった。ウチの課は年齢層が若かったので、課内結婚がそれは多かった。

同じ苗字のカップルが当時多いときで5組くらいいたからね。

出産とともに、女性陣が退職するので、徐々に減っていき現在に至る・・という感じだけど、その当時のメンバーも異動でいろんなところに散らばってしまったので、

今回久しぶりに逢った東京組なんて、何十年ぶりよっていう感じ。

いや、24年ぶりにあった課員の人たちもそれなりにおる。

4年半もの間、同じ釜の飯を食べて、同じ場所でそれぞれ仕事をし、プライベートでもほぼ毎日のように遊び(我が家がだった社宅が会社から1番近い社宅だったため、たまり場になった。)

苦楽を共にした4人が集まりました。

あたしたちも久しぶりに逢うので、近くのお店に待機。

ごはんを食べる。

     近況合戦。子どもたちも大きくなったでね。

この中で1番したのお子だって今年高校を卒業するんだもの。

子育ても終盤よね。よー喋ったな。楽しかった。次は私の快気祝いに集まると約束したが、いつになるなかいな。。。

記念に、万さんには好物のイモ焼酎。 メッセージを包み紙に書くっていうね。この残り3面にみんなにも書いてもらおうと、パスタ食べながら、みんながそれぞれの想いを書いた。

 何十年も万さんを支えてくださったオクサマには小さいながら花束を。私ひとりの気持ちでえーわと思うておったら、

残りの3人が自分たちもお金を出すけ、加えて。という。ただ、逢いにいくだけかと思うたけ何も用意してないし、、のっからせて。と言ってくれる。こういうところが、カノジョたちのいいところ。

同じ釜の飯を食ってきた甲斐がある。当たり前のように言うあたりがうれしい。

お開きの時間になった・・とメールが来たので、お店の入り口まで移動。

出てきた途端に超、懐かしい顔・・当時、いた人たちはびっくりです。だって、あの頃が1番課内の雰囲気も仕事の流れもいい時代だったものね。

 記念に課員で撮った集合写真。いまでは20名弱の人数らしい。そしてプロパーさんがたくさん入ってるので私たちが知らない人たちのほうが多くなってきてる。

まぁ、久しぶりじゃねー。と言葉を交わすあの若かったカレも、白髪いっぱいやん。どれだけ歳とったんかと、、自分でも恐ろしくなったわ。

そりゃ24年前っていうと四半世紀じゃもんね。よーカラオケ行ったよね。MR2で免停くろーたよね。とか、笑える話ばかり。

お久しぶりです。と言われ、お、娘ちゃんと自転車乗りよんのたまにみるよ。あのアルマーニのスーツしか着んかったもりちゃんがねー、お父さんかぁ。と話が弾む。

いやー、懐かしすぎた。

 あたしら4人も写真を撮ってもろーた。タイムスリップした夜だった。

万さん、46年間お勤めご苦労様でした。

故郷に帰るとのこと。

どうぞいつまでもお元気で。

長い間ありがとうございました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする