鳥居を潜った場合、左手の奥になるので、知らないと通り過ぎてしまうかも知れない。

石碑には左上から右下にかけて大きな割れ目がある。
一度割れたものを、つなぎ合わせてあるようだ。
上部には「松郷沿革之記」と刻まれている。
明治22年11月に建立されたものである。
碑文は漢文で書かれているが、かなり読みにくい。
顔を近づけて見ても、判読が難しい。

説明板があると聞いていたので探したが、周囲には見当たらない。
近くに掲示板があるのでそこを見ると、右側にまだ新しい掲示があった。
その下には大きな赤い矢印があり、石碑の方を指している。
どうやらこれが、説明板の代わりをしているようだ。

縦長で1枚の紙には、次のように書かれている。

「松郷沿革之記」の碑
埼玉大学名誉教授 山野清二郎
川越熊野神社境内に建つこの「松郷沿革之記」の碑は、明治二十二
年当時の松郷が、川越町に合併された際、それまでの松郷の歴史や郷
内の地勢並びに川越との関わりなどを、八項目にわたって刻したもので
ある。松郷は大字川越の南に位置し、野田から伊佐沼に至るまで東西
に細長い地で、特に蓮馨寺を中心として深く川越と交流を保ってきた。
碑文(に)依ると、松郷の小字には六軒町・松江町・久保町・中原町などがあ
り、大字川越に近い所から漸次市街地になっていった。この地は古く天正
十八年から川越を治める領主に管轄され、明治四年の廃藩置県まで
続くが、以後入間県・熊谷県そして埼玉県へと所属が写った。総石は一
三三四石余り。戸は凡そ七八六戸。人口凡そ三一
〇〇人。主要神社は五。仏寺は凡そ四。明治二十
六年の川越大火で消滅した寺の名も記されている。
この当時は水深四尺もあり、広い池も存した。松郷
の地名の消えることを惜しんだ熱き心の二十六人
の有志たちが力を結集し、かつて当地にあった塚の
ほとりに建立した貴重なる記念碑である。
左下の地図を見ると、右上に横長の松郷があり、下の方にも飛び地の松郷がある。

130年ほど前に建てられた石碑であるが、説明文にもある通り貴重なものだと思う。
漢文でしかも読みにくいのが難点だが、解説文だけでも読んで欲しい。
なお、碑文は山野先生により解読されている。