飮杯の底に映る
無痕(wu2 hen2)
の文字が、心に響きます。
台湾茶人李曙韻氏が、
2012年北京国家大劇院で開かれた茶会も、
たしか「無痕茶会」というような名でした。
目の前の飲杯は、そのイベントのために作られた飲杯かな。
痕とは、痕跡(こんせき)のことです。
魚過水無痕
鳥飛天無痕
の歌にあるように、
魚が通り過ぎても、
水に跡が残らず
鳥が通り過ぎても、
空に跡が残らず
人間は、水中の魚や空中の鳥のようにはいきません。
人間のおかれる環境は、もっと複雑で、出来事があるたび、心が揺れ、時には動きだす時も免れないのでしょう。
宋の時代の大詩人、蘇軾が歌ったように、
事如春夢了(liao3)無痕
(物事を春の夢のごとく、傷跡残さず終わらせるように)
当時、挫折を味わった蘇軾は、自分へのたしなめとして、残した歌。
このように、多くの詩人、文人は、
「無痕」というものを、目指すべき最高な心境にしていたことが伺えます。
心に響く言葉でした。
こちらの飲杯の、表の顔も、美しい。
そこにある文字は、春秋時代の五音音階っぽく見えます♪
読めませんけれど、なんだか悠久な感じがしていいですね。