私には
62歳になるこれまで
多くの出会いがあり
多くの別れがあった。
人間は
もともと携えている本質に
人との出会い交わりによって
基本的思考が形成され
人間性が確立する。
私はそう思っている。
私と言う「個」を
形作って下さった人たちとの
出会いと別れ。
小さい時、本当に沢山の事を
教えてもらった、悌二兄。
34歳で夭逝。
尊敬する父。曲 学礼。
「心配するな。命までは取られない」
若いころ
ノイローゼになりかかった私に
かけてくれた言葉が忘れられない。
私が48歳のとき他界。
私の最愛の人。
私が心から尊敬する人。
他人を思いやり
いつも自分はあとまわし。
永遠の恋人・敏恵。
55歳のとき
「一緒にいてくれてありがとう。」
最期の言葉を残して旅立った。
その瞬間
私は途方に暮れたが
なぜか涙は出なかった。
人は哀しさがすぎると
涙すら出ないものだと
そのとき身をもって知った。
そしてそのあとしばらくして
涙かれるまで泣いた。
竹馬の友。西條史宣。
8歳の時に出会った親友。
心友。友だち52年。
お互い60歳で永遠の別れ。
多くの出会い
多くの別れを経て
人は優しくなり人は強くなる。
彼らの分まで生きるなどと
高慢なことは言えないが
いま私があるのは彼らのおかげ。
彼らなくして
今の私はないと思っている。
そして今もみんな
私の心の中にいて
私を支え続けて下さっている。kyokukenzo
62歳になるこれまで
多くの出会いがあり
多くの別れがあった。
人間は
もともと携えている本質に
人との出会い交わりによって
基本的思考が形成され
人間性が確立する。
私はそう思っている。
私と言う「個」を
形作って下さった人たちとの
出会いと別れ。
小さい時、本当に沢山の事を
教えてもらった、悌二兄。
34歳で夭逝。
尊敬する父。曲 学礼。
「心配するな。命までは取られない」
若いころ
ノイローゼになりかかった私に
かけてくれた言葉が忘れられない。
私が48歳のとき他界。
私の最愛の人。
私が心から尊敬する人。
他人を思いやり
いつも自分はあとまわし。
永遠の恋人・敏恵。
55歳のとき
「一緒にいてくれてありがとう。」
最期の言葉を残して旅立った。
その瞬間
私は途方に暮れたが
なぜか涙は出なかった。
人は哀しさがすぎると
涙すら出ないものだと
そのとき身をもって知った。
そしてそのあとしばらくして
涙かれるまで泣いた。
竹馬の友。西條史宣。
8歳の時に出会った親友。
心友。友だち52年。
お互い60歳で永遠の別れ。
多くの出会い
多くの別れを経て
人は優しくなり人は強くなる。
彼らの分まで生きるなどと
高慢なことは言えないが
いま私があるのは彼らのおかげ。
彼らなくして
今の私はないと思っている。
そして今もみんな
私の心の中にいて
私を支え続けて下さっている。kyokukenzo