KYOKUKENZO'S WORKSHOP 2024

「道」は自ら切り開くもの。
他人の後追いは「道」にあらず。

哀しい別れ

2019年04月06日 | 社長のことば
葬儀委員長といたしまして

喪主さまご遺族さまに
成り代わりまして

ひとこと
ご挨拶を申しあげます。

本日は年度末の
大変お忙しいなか、

このように多数の
ご会葬をいただきまして

誠に
ありがとうございます。

心より厚く
御礼を申し上げます。

また、

真心のご供物ご供花、
過分なるご香料を賜わり

重ねて御礼を申し上げます。

故人と私は
会社では先輩後輩であり

プライベートでは
飲み友だち、ゴルフ仲間
マージャン友だちとして

長く親しくお付き合いを
させていただきました。

彼は一本気で、少し
頑固な面もありましたが、

人なつっこい性格や
正直な人柄と相まって
周囲の人望も厚く

社内はもとより
社外業界においても

大きな役割を果たして
きたことは、

皆さますでに
ご存知の通りでございます。

ここで故人の経歴を
伺っておりますので
紹介させていただきます。

故人は昭和29年◎月◎日
父〇〇さま、母〇〇さまの
ご長男として、小樽市に
お生まれになりました。

少年時代は小樽長橋で
サッカー少年として
元気にとび回り、

その後
北海道立小樽●●高校
札幌◆◆大学と進まれ

卒業後はご縁があって
私どもの会社に
入社なさいました。

営業や総務での活躍で
メキメキと頭角を現し

以来42年、社業発展のため
尽力していただきました。

食べることが何より好きで
若干太り気味でしたが

特に悪いところもなく
見受けておりました。

ところが2年ほど前、

突然体調を崩して病院搬送。

精査の結果、肝臓に
なにか「変なもの」が
あるとわかりました。

入院後は本人の頑張りや
ご家族の手厚い看護で
みるみる回復。

半年にわたる闘病を経て
元気にまた職場復帰を
果たしました。

その後は食生活などに
気をつけながら仕事に励み

休日にはゴルフなども
楽しんでいましたが

昨年の末に再び
体調を崩して入院。

その後容体は一進一退を
繰り返しておりましたが

29日の未明、

そのまま不帰の人と
なった訳でございます。

まだこれからという時。
まことに斬鬼に堪えません。

ただ、そんな中でも

穏やかに眠るような
彼の顔を拝見して

少し気持ちが救われた
想いがいたしました。

また昨日は

夜を徹しての
お通夜だったわけですが

ご兄弟や親戚皆さまから
彼の思い出などを伺い

40年付き合ってなお
初めて知った

故人の想い
豊かな人間性に触れ

改めて彼の優しさに
気付かされた
ところでございます。

葬儀委員長として
このような事を
申し上げるのは

不謹慎と言われる
かもしれませんが

実は彼が旅立つ2日前
私は 彼の夢を見ました

彼は

すっかりスリムになって
茶色のVネックのセーター

黒縁のメガネをかけて
社長室の前に立ち

「治ったよ」と言いました。

苦しい中。

旅立つ間際、

自分の気持ちを伝えに
わざわざ来てくれたのだと
思います。

私は

とても光栄なことだと
思っています。

「また元気で働くから」

それはまさに

私を始め、共に過ごした
従業員全員の願いであり

そしてまた彼自身の
願いでもあったように
思えてなりません。

本当に残念です。

ご遺族の
ご心中如何ばかりかと
ご拝察申し上げ、

今はただただ
ご冥福を祈るばかりです。

皆さまから生前

故人に賜りましたご厚情に
感謝申し上げますとともに、

ご遺族に対しましても

故人同様変わらぬ
ご厚誼を賜りますよう

お願い申し上げる次第です。

本日は誠に有難うございました。
(平成31年4月1日の挨拶から)


当社 取締役管理部長
伊藤幸一さんが3月29日、
64年の生涯を閉じました。

入社以来42年晋南一筋。
社内社外で大きな役割を
果たしてきました。

つつしんで哀悼の意を表し
心からご冥福をお祈りいたします。

晋南貿易株式会社 曲 健三 kyokukenzo
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする