KYOKUKENZO'S WORKSHOP 2024

「道」は自ら切り開くもの。
他人の後追いは「道」にあらず。

横浜の老舗。

2022年07月21日 | 和食
嘉永6年(1853年)。

ペリー提督率いる
黒船4隻が浦賀に来航。

幕府はパニックに陥り
「攘夷」か「開国」か
二者択一を迫られた。

ときの大老、
井伊直弼は勅許を得ず
日米修好通商条約に調印。
(安政5年=1858年)
翌年、横浜は開港した。

開港当時の歓楽街は
港崎町から高島に移った。

中でも「岩亀楼」は
三層櫓式の大楼閣で
夜目にも美しく
人々の話題となった。

当主は佐吉といい
埼玉県「岩槻」の出身で
「がんき」と呼ばれた。

「岩亀楼」の売れっ子
喜遊(亀遊とも)大夫は
米軍人に言い寄られたが

露(つゆ)をだに
いとう倭(やまと)の
女郎花(おみなえし)
ふるあめりかに
袖(そで)はぬらさじ

と、辞世を残して自害した。

幕末の
遊女気質を表す句である。

遊女が病に倒れた時の
静養寮が岩亀横丁にあり

信仰するお稲荷様が
寮内に在ったので
「岩亀稲荷」と呼ばれ
現在も信仰が継がれている。

このお稲荷様に
お願いすると必ず
そのご婦人の病いが
なおると言い伝えられ

毎年5月25日には
例祭が営まれている。

(店内パンフレットを要約)

骨のから揚げは

揚げたてアツアツ。

サッポロビール黒ラベル。

う巻きに

三崎マグロ。

岩亀オリジナル

純米酒を冷やで賞味。

本日メインイベントは

拡大してお届けします。笑。kyokukenzo

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