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Mind Feeling 0819 コピー・盗作で作られたもの、それは…

2007年08月19日 18時47分02秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

 思い始めたのは、よくは覚えていないが、自分自身の口調なり文体なりを見ていると、相当数、誰かやどこかで見た様なものを形にしているように思う。恣意的な面もあるが、大抵は、自然発生的なものだ。
 誰しもに、「その人なりのもの」というのがあると思う。それは、別に、何かを真似たりしているのかもしれないが、「不自然さ」を感じさせないものだと思う。もう少し言えば、ありふれて見かけるような「普通」という事になるのかもしれないが、それはそれで面白さはあり、自分自身もそんな風であったなら…と言う手の届かない「憧れ」にも似たものがある。
 自分自身で考えて創り出したものこそ、「個性的」と言えると思う。その人オリジナルという物だと思う。多くのものがひしめきあう中では、どこかでそれは、何かや誰かと似てしまう物になってしまうかもしれないが、「許容」されるものだと思う。自分は許されないんじゃないか…的な事をよく思う。それでも、やり方が解らないが故に、突き進んでいく。それも1つの「自分自身を表す」という意味での「個性」であるとすれば、全く無用な産物だと思っていたりする。
  一方で、物事の取っ掛かりと言うか始まりは、「模倣」から始まるとも言う。無から有は生まれない、という事で、形のある「有」を見て、無から有を作り出せる様にするものの様だ。その中から、「オリジナル」な物を見つけ出していく…というが自然な流れの様だ。つまり、この「模倣」はいつかは終わらせなければならないという事だと思う。そして、「自分だけのもの」という物を手にしなければならないと言う事になる。それは、別に特別難しい事ではないようで、自然と手に出来るものの様で。確信はあまりないが、周囲を見ているとそんな感じがする。
 別に、「模倣」という事を意識したつもりはないが、特にそれに何の疑問も感じずとりあえず来てしまったようだ。そして、自分自身の中で自然発生的に出て来たものは何1つ無い。「自然発生」が何より大切な事で、それこそが「個性」に結びつくものだと思う。そこに「ネガティブ」や「悪い意味」、「弊害」は「一切無い」事を先に言っておく。
 自然発生ではなく、模倣と言うコピーで人工発生された自分自身という存在が、時として酷く憎らしく思えるし、重たく感じる。捨ててしまいたくても、それを捨てるという事は自分が自分自身でなくなってしまう気がする。
 善か悪は別として、それだけ自分の周囲に、「影響を受け易い」物が沢山あったんだな…とも思える。自分自身の性格や特徴なのかも知れないが、だからと言って、「影響」のままに流れていったかといえば、流れていけなくて。かなり抗った様に思う。故に、「ゆがみ」や「ひずみ」を「醜い形」で「許容されない形」で産んでしまったようだ。
 それでも「許容」される時があることは、幸いであるけれど、頻度が多い訳でないので、やはり「重荷」になっていることは間違いないし、「雁字搦め」になって「動けなくなってしまう」事もある。
 結局、何が言いたいのか解らなくなってしまったが、自分の中で「オリジナリティ」に富んだものはほぼ0に等しいと言うことを形にしてみたかった…という事だと思う。 

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名川@東武バス様、コメントありがとう御座います。(8月18日分)

2007年08月19日 13時57分18秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
 名川@東武バス様、コメントありがとう御座います。また、レスが遅れてしまいまして申し訳御座いません。
 昨日、8月18日は、お忙しい中ご参加くださいましてありがとう御座います。非常に楽しい一時を過ごせる事が出来ました。先ほど、掲示板を拝見致しましたが、今日8月19日も外出予定ありという事だったんですね。遅くまで引き止めてしまい申し訳ありません。(つよんじゅん様も、同様に、長旅あがりの中、遅くまでお付き合いさせてしまい申し訳ありません)
 
 次のOFF会が10月14日あたりという話が、つよんじゅん様より出ているようです。また、お会いできたら幸いで御座います。
 
 今後とも、お付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。
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BlueKing様、コメントありがとう御座います(8月18日分)。

2007年08月19日 13時20分21秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

 BlueKing様コメントありがとう御座います。
 天候はさほど良くは有りませんでしたが、雨は降らなかったので良かったです。
 
 リンクの件ありがとう御座います。私も早速、リンク貼らせていただきますので、
今後とも宜しくお願い致します。

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オフ会終了。

2007年08月18日 23時51分41秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

「楽しい時間は、どうしてすぐに過ぎるんだろう…」(『ロミオの青い空』エンディングテーマ曲 笠原弘子『Si,Si,Ciao~ロマナの丘で~』より引用) という感じで、オフ会は無事終了。
 リンクを貼らせて頂いている、通快掲示板サイトの管理人様と最終的にお会いする事が出来、濃い鉄道話が出来た事は、この上無い幸せである。
 各諸氏様には、感謝の言葉と気持ちで一杯である。ありがとうございました。
 また、『つよちゃん本舗』の運営のつよんじゅん様、ほぼ1日、私の話に静かに耳を傾け、お聞き下さった事、感謝致します。その他、毎度の粗忽な振る舞いでご迷惑をおかけしてしまいました事、お詫び致します。久々のバス旅、楽しく満足です。!次回は10月14日にオフ会という話、また参加させて頂きますので、よろしくお願い致します。
 間もなく、日付が変わりまた1日が始まっていくが、今日という日が、2007年の夏の記憶として、残せるのは至福の喜びである。


 <後日談?>
 地元に戻り、空腹を感じたのでとある有名飲食店に入ったのだが、ごはん切れであえなく返されてしまった。土曜の24時台で、人も少なめで…という事もあり、需要予測を見誤ったのだろうとは思うが、そんな体験は初めてであった。仕方がないので、コンビニエンスストアで、ジェル状食品でお茶を濁すこととした。

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オフ会中@ 109バス車中

2007年08月18日 16時59分44秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

  きがつくともう5時近いです。まだ空は明るく、夜なんて信じられない感じです。オフ会中ではありますが、過労からかリンク先の方は、うつらうつら状態。長旅からの休み無しの工程は、想像以上にきつく体力の消耗も激しいかと思われる。何しろ、5日間、ぶっ通しだったので。詳しくは、『つよちゃん本舗』を参照の事。
 因みに、今日は109バス縛り旅です。日産シャーシの西工ボディ車に、7E車、三菱エアロスタに、日野となかなかのラインナップです。大好きな5速運転もばっちりあって、花丸です!
 今、鴨居の裏手を行っています。行き先は、市が尾駅です。写真は、乗車中の座席のシート布です。


 <後日談>
 ララポートの姿は見えなかったが、鴨池大橋の姿は確認出来た。久々に道路から見たのだが、利用率は抜群のようだ。
 この後、市ヶ尾まで行き、横浜駅西口←→市ヶ尾線(第三京浜廻りを含む)が全て廃止されている事に気付き、唖然とした。横浜市営のE-MATICがばんばん3系統で走っていたのに…。
 市ヶ尾からは柿生へ。その路線も、何年か振りに乗車。途中、桐蔭学園の名前を久々に生で見る事になった。
 柿生からは、初めてたまプラーザ駅までの路線に乗車。途中の道の狭さや勾配のきつさに驚く。また、乗ったのがIKCのツーステップ車で、ステップの高さに懐かしさと同時に、乗りにくさを感じる。多分、ノンステ、ワンステ車に新ステップ車両慣れしてしまった所為だろう。
 よくよく見てみると、109バス乗っていたのに、「横浜市営バス」に乗っている事にタイトルがなっていた自分の間抜けぶりに愕然とする。早急に訂正。

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曇りの土曜の朝0818

2007年08月18日 08時17分27秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
  今日は、リンク先の方とオフ会である。天気は、曇りであるが、一先ず、雨は降っていない。各駅停車の電車に揺られつつの書き込みであるが、こうして、身にある事をありありと書くのには抵抗がある。嘘をついている訳ではけっしてないのに…。真実は、くっきりと見えると、いや、まざまざと突き付けられる事が怖い私である。臆病者だが、つい眼がそれてしまう。 

   <後日談>
 この日は、途中駅から優等列車に乗り、一気に目的場所まで向かう。
 予定時刻より15分程早着する事になる。案外と速い、R-Exp.
 まぁ土休日だし。それでも通常のより1~2分遅めに設定して
 あるような…。
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憧れた生田トンネル

2007年08月18日 00時17分39秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

 トンネル越えが好きだと言う話を何日か前にしたと思う。
  表題の生田トンネルを見つけた時、あまりの長さにびっくりして、こいつは是非越えてみたいと思った。見つけたきっかけが何であったかは良くは覚えていない。多分、フリーランスをやっていて、たまたま地図を見ていたら、たまたま見つけたんだと思う。
 しかし、この生田トンネルは、ご存知の通り、「武蔵野南線」と言う貨物線であり、そう簡単に越えることは出来ないものなのだ。そこで、とりあえずどんな物か?と言う事で、そのトンネルが始まる地点を観に行った。場所は、京王相模原線の稲城駅かえ行けた。ちょっとした公園を抜けた先に、百村トンネルがあって、その次が生田トンネルだった気がする。全長は10キロ程あるようで、かなりのものである事が解り、驚いたのと同時に、越えてみたいという気持ちが膨らむばかりだった。
 そんな中、ある時、多分『MATT時刻表』だと思うが、臨時電車のページを何気なく見ていたら、横浜駅の次が府中本町という電車があった。武蔵野線・横須賀線のページにあったように記憶している。列車名は「ホリデー快速 鎌倉
号」である。これは、もう貨物線を通るより他ないと判断し、機会を見つけて乗りに行った。土曜だったか日曜だったかは忘れたが、大宮へ赴いた。記憶が確かなら、八王子から出た臨時電車快速むさし野号(急行型電車だった気がする)で大宮に出た記憶がある。これも、中央線-武蔵野線と武蔵野線から大宮に出るトンネルを越えてみたいが為に乗った気がする。
 そして念願かなって生田トンネル越えを果たした。時期が夏だったように思うのだが、長大なトンネルを越えるのでいい感じに冷えたような気がする。
 その後、生田トンネル内を行くとはどんな感じなのだろうか?と言うことで、一番後ろの車両に乗り、ひたすら眺めた記憶がある。運転席に行くと、遮光幕が全て下りてしまい、展望が出来なかった事による。
 見てみると、大きな螺旋階段を行くかのような印象をうけた。貨物を引っ張るので、やはりそれなりに曲線や勾配が緩められているな感じがした。それが後のフリーランスに役にたったりもした。
 多分、乗ったのは高校の頃だったように記憶している。その後は、しばらく乗らなかった。3回目の乗車は去年の正月だった。今度は、逆方向から乗ってみようと思った。大宮から鎌倉へ向かう際、武蔵野南線内はそんなに速い速度では走らなかったので、トンネル以外はあまり魅力的な面はなかった。しかし、小杉トンネルを抜けた先の貨物線で、ディーゼル機関車とすれちがう事が出来るのはウリだったように思う。
 それで、3度目は鎌倉から乗ったのだが、何故か、リンク先のブログを管理している方と横浜でお会いする事が出来た。その方も丁度、乗り鉄されていたので、横浜で会いましょう…という事になった。すると、往路とは違い、割りあい速い速度で武蔵野貨物線内を抜けて行き驚いたのと同時に、トンネルの竪穴みたいなのを見ることが出来て、感動した覚えがある。その時は、確か、北朝霞あたりで乗り換えて、南流山まで行き、つくばエクスプレスに乗り継ぎ、関東鉄道と接続する守屋へ行き、ディーゼル単車快速初乗車デビューを果たした様に思う。
 次に、越えてみたのは、青函トンネルである。長大なトンネルなので、越えがいがありそうだが、いつになればいける事やら…。

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BlueKing様、コメントありがとう御座います 0817

2007年08月17日 23時05分02秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
 Blue King様、コメントありがとう御座います。
 『こち亀』の寮は「にこにこ寮」でしたか?管理人の方が、結構年配の方だったような気がします。40度なんてシーンがあったとは知りませんでした。あっても不思議ではないですが、だからと言って、おっしゃる通り体験したくは無いですね。今日も、岐阜県の多治見市で40度を越えたそうです。昨日ほどではないようですが…。
 明日、8月18日からは、暑さは和らぐそうなので、安心は出来ますが、私はちょっと儚くもあります。 
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真の自分自身について…

2007年08月17日 19時58分21秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

 自分自身が何者・何物なのかは、案外解らないものだと思う。少なくとも、私はよく解っていないし、あまり見たいとは思わない。醜いものばかりが見えてきそうで嫌…というのが一番強い。要は、うぬぼれ強いのと同時に自尊心が高いのだとも思う。
 「自己分析」という言葉があるが、一番、苦手な言葉である。社会に出る前には、きっと誰もがこの課題に直面すると思う。しかし、割合すんなりとこう飛び越えてしまえるものだと思う。他人は、何時だって器用なものだ。多分。
 こうして、ブログを始めたは良いが、割合、こう自分自身について語った事は無いし、「自己紹介」と称して、「自分と言う存在が何者・何物であるか?」という話はしていない。とりあえずという感じで、簡単な自己紹介をつけては見たが、どこまでが伝わったかは解らない。もっとも、これまでの間に、愚痴に駄文を嫌と言うほど書いてきたので、私が「健全な明るい人間でない」という事は御解り頂いていると思う。
 そこで、改めて、私と言う人物について語ってみたい。

ハンドルネーム:急行特急TH
誕生日:5月8日
性別:♂
血液型:O
趣味:鉄道・バス(ごく一部)・深夜アニメ鑑賞・カラオケ・駄文作成
    ・深夜首都高の旅 ・篠原美也子の曲を聴くおよび弾き語る
    
特技:遅寝悪起 ・妄想 ・暴走 ・迷走 ・自己弁護(言い訳を含む)
    ※全て欠点になりえる。

 いざ書いてみると、なんだか恥ずかしいものである。あまり、自分自身をさらけ出したくは無いと思う自分は、閉鎖的な人間なのだろうと思う。最も、知られたところで、どれだけの理解が得られるのかは解らないし、受け入れられるのかも解らないので、書くだけ無駄な様な気がして成らない。別に、どんだけの人間がこのサイトを見ているかは知れているが、ネット上に境界線はないので、あまり書いてしまうのは良くないと思うので、つい手をこまねいてしまう。

 以下、趣味に関する話をしてみたい。

・鉄道とバス
 ガキの頃から好きだった気がする。理由は解らない。多分、過ぎ行く景色を見る所から吸い込まれたのだろうと思うし、両親が鉄道関連の書物(カラーブックが一番大きい気がする)や玩具を買ってきた所為もあると思われる。
 当初は、東急好きだった。今では当り前だが、ステンレス車両を理由も解らず好きだった気がするし、素晴らしい物だと言う印象が強かった。
 中学に入って、鉄道仲間が出来て、乗った京浜急行デハ1000形特急の運転台を見て、なんと開放的で観易い(運転台後部にまで座席がある!)のだろうと感動。そして105KM/Hでぶっ飛ばすその姿に感動。せいぜい80から90KM/H程度だろうとその当時はたかをくくっていたので、もの凄く驚いた。その後、どうしても快速特急にも乗りたくなり1人で乗りに行った。120Km/h運転が開始され600形電車がデビューした頃に、快速特急に乗ったと記憶している。品川から2000形(当然、2つドア、集団見合い式固定クロスシート時代)で京急久里浜まで乗車。120Km/hはその時点では出なかった。土休日の朝早い時間だった事によるものと思われる。MAX115Km/hだった気がする。
 京急久里浜からの折り返しは、偶然にも600形電車だった。今度は120Km/hばっちり出て、驚いた驚いた。こんな凄い電車が存在するとは思わなかったと言わせるくらいのど迫力に恐れ行って以来、ファンと化す。
 後に、気がつくと、京急のカラーブックスを手にしていた事が解り、幼かったので絵しか終えなかった段階から文字が読める段階へと進化していてので、歴史も紐解き、かつては京成線からの臨時直通特急や直通快速特急(殊、SHという列車コードが何故か気に入った)があった事が解り、感動した覚えがある。
 フリーランスで浅草線に乗り入れる話が出て、京成やら北総やらにまで知識の根が広がって行ったのは言うまでも無いが、あまり京成については過去の情報が少ないのでよくは解らない。
 そんなこんなで現在に至り、先述も述べた通り、リンクを貼らせて頂いた方々と出会い、更に鉄道の知識が深まる事になり、現在に至る。
 学生時代、結局、鉄道の部活に出会えなかったのは痛いが、語り合える仲間があった事を幸いと思うべし…という所か?
 一方で、どこに何の路線があるか、とか、運賃がいくら、とか、駅で車両の何号車にのると出口が近い、とか言う知識は乏しく、殊、JRは全般的に本当に知識が少ないのが特徴である。一般的に、鉄道好きというとJRがメインであり、私鉄はその次にあるという感じがするのは、お得意の妄想であろうか?
 かなり偏り狭いコアな知識しかもたない、鉄ヲタである。

・バス
 もともと生まれた土地は、今住んでいる街とは違ったので、鉄道と比べると歴史は浅い。知識はせいぜい地元を行く、小田急系列の橙色に黄色と思しき色を貴重としたバスの事が少ししか解らないので、あまり声を大にして語れない。
 鉄道と同じく、路線の相関関係や料金の話なんぞは、さっぱしである。

・深夜アニメ鑑賞
 これは以前、書いたような気がするので殊更、書く事は無い趣味だが、最近では、すっかり生活の一部と化し、無くては成らないものになっている。
 ジャンルは問わないが、萌系が苦手。また、血生臭すぎる作品でかつや冷酷非道な話も駄目である。好きなのは、人間関係を豊かに描かれたもの、友情もの系。そんな感じで、作風が自分に合えばなんでも観る。
 観るきっかけに関して、プラスアルファで話をしておくと、ゴールデンでやっている番組は、比較的メジャーで誰しもが知っている感じの物が多く、観て面白くてはまるのは当り前という思い込みがあり、あえて、「深夜を選んだ」というのもある。
 アニメというと「声優」という話になるが、それに関する知識は無い。あまりそこいらへんの話に興味はない。

・カラオケ
 これも以前述べた話なので、詳しくは述べないが、「誰かと行くと歌い足らない」という理由(2時間から3時間設定で数人で行くパターンが多かった)で、1人で行く事になった。
 とはいえ、1人で行って良いものなのか?という戸惑いに不安が多く、周囲の知り合いに「ひとりで行って平気なものか?」と訊きまくった記憶がある。大丈夫だ!という話を何度か聴いたので、実行に至る。初めて、1人カラオケしたのは、京急線のとある駅前(優等列車の止まらないマイナー駅)にある(今はどうか解らない) 店屋。名前は覚えていないが、なかなかリーズナブルな値段であった気がした。

・駄文作成
 主に、Mind Feelingでよく書くような文章(私は、勝手にそれをエッセイと呼んでいる)に、小説(以前、リンク先のブログで書いているという話をしたが、あんな感じのもの)を書く事が趣味である。
 きっかけは、ラジオの深夜放送によるが、なんか高校3年の頃になって今の気持ちを書きとめておきたい…みたいな衝動にかられて書き出したのが全てだったと思う。質は、観ての通り、お話にならない感じの悪いさである。

・深夜首都高の旅
 これは、鷺沢萌著『少年達の終わらない夜』(河出文庫 1993年)の中の『ユーロビートじゃ踊れない』という話にある。その本の133ページに、

「首都高を一周しようか」

という台詞が出て来る。この時の情景を話の前後を追っていくと、どうも夜中(少なくとも深夜0時を過ぎている事は間違いない)という設定であり、

――暁子はのサンタナは大通りをずっと北上し、用賀から高速道路に乗った。首都高に入ると、暁子はさっきまで流していたコステロのテープを取り出し、左手で別のテープを探ってからヒロシに言った――

というのがあり、渋滞だらけの昼間の首都高ではなく、深夜のすいた時間の首都高に乗ってみたい…という衝動から始まったものである。最近は、やっていないが、かつてはそれなりにやっていた。
 「ルーレット族」がやはり多かったが、別段事故られた事はなかった。煽られた事はあったが、すんなり道を譲ると、ハザードランプで「ありがとう」と言う意味を示す合図を出したりする事があったのには驚いた。単に馬鹿にされただけかも知れないが…。
 その後、去年の連休前に、この夜間ドライブの応用で、東名に乗っていて、スピード違反でつかまり(オーヴィスでひっかかる何とも情けないものだった)免停処分となった事がきっかけで、最近ではすっかりやらなくなってしまった。一応、免停期間は過ぎ、免許は返っては来たが、今度はガソリン様が異様な高値になったので、気軽さを失ってしまったのもある。

・篠原美也子の曲を聴く/弾き語る
 彼女のファン歴はかれこれ12年位になる。知ったきっかけは、深夜放送。たまたま夜中に目覚めて、自分の部屋にその当時、ラジオはあってもテレビはなかったので、そっちに逃げたら出会った。
 ピアノを幼い頃数年ならっていた(腕はかなり悪い)ので、彼女の曲も弾けたらなぁ、歌えたらなぁ…と思い、耳コピで音は取れたので、適当に今でも弾いている。
 これまでの人生で、彼女の事をよく知る人物は出会った事が無いが、今も好きである。

 気がつくと4000文字を越える量になってしまったが、取り敢えずはこんな所である。

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Mind Feeling 0816-1 「暑ちゅかったですね」とダイナマイト四国

2007年08月16日 21時02分48秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

 国内最高気温を塗り変えた2007年8月16日。40.9度という、笑い様が無い温度になったのも、やはり、温暖化の所為なのか?
 さて、気温が高いこの季節の合言葉的なもの「暑い」。
 私は、『ダウンタウンのガキのつかいやあらへんで』のスペシャル企画である「罰ゲーム」で登場した、妙なお坊さんを想像してしまう。その罰ゲームは、ご存知、「笑ってはいけない」というルールである。それをネタにしてか、日本語を習いたてと思われる外国人の方がそのお坊さん役を演じ、「しかし今年はあちゅかったですねぇ~」と変なイントネーションで何度も言い、罰ゲームを受けている方々(確か、浜田氏、田中氏、山崎氏の3人だった気がする)を無理にでも笑わせようとする訳である。2年位前の秋に放送され、その年の夏も確かに暑かった。ただ、40度まではいってなかった気がする。
 そして、そのスペシャル番組で個性的なキャラ出てきた。その名も「ダイナマイト四国」というプロレスラーだった。「1、2、3、シッコク!シッコク!」が彼のきめ台詞だった。これも、妙に印象的で私は気に入ってしまった。記憶がたしかなら、さっき挙げた、「妙なお坊さん」と一緒に出たシーンもあったような気がする。このプロレスラー、試合開始後58秒(だったと思う)で肉離れを起こして、試合継続不能になる妙技を持ち合わせていた。
 そんな2人のキャラが気に入った私は、暑い時には、「あちゅかったですねぇ~」と行ってみたり、四国と言えば、「ダイナマイト四国」と言う風に思っていたりする暇人である。

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