「明日を明日を待つ訳を明日にひかれる心の行方を」
(篠原美也子『心のゆくえ』1993年 より引用)
4月1日が第2の新年だなんてこれまで思いもしなかったのだが、不意にそんな事を思う3月30日の晩期。明日はどうなるのか、ということを不意に思う。
別に何か特別な事や予定はまるでなくで、あても無い。しかし心が待つ明日という日。何のビジョンも方針もないのに、何を望むというのか?
時折、そんな自分でも説明のつかない事を不意に思う。単なる「泡」でしかなく弾けるだけで、何も無いと知っていても、心は何か想い描けぬ良い明日を期待している。
(篠原美也子『心のゆくえ』1993年 より引用)
4月1日が第2の新年だなんてこれまで思いもしなかったのだが、不意にそんな事を思う3月30日の晩期。明日はどうなるのか、ということを不意に思う。
別に何か特別な事や予定はまるでなくで、あても無い。しかし心が待つ明日という日。何のビジョンも方針もないのに、何を望むというのか?
時折、そんな自分でも説明のつかない事を不意に思う。単なる「泡」でしかなく弾けるだけで、何も無いと知っていても、心は何か想い描けぬ良い明日を期待している。