舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

24歳!!!

2007-05-02 03:19:18 | 徒然話
いやはや、ついに24歳になってしまいましたですよ。
もう3年くらい前から人間性の成長を置き去りにして年ばかり取っている感じがしている私です。
いや、いかん。このままではいかんよ。
なんたってこのぐらいの歳ってのは私からするとものすごく微妙な年でして、おのが至らなさを若さで言い訳することはもうできないけれど、「亀の甲より年の功」って言えるほどの経験は積んでない。やりにくいことこのうえないです。
いっそのこと一足飛びに15歳くらい年を取ってしまいたいけれど、私の理想とするカッコイイ大人の女になるためには、今の時代を乗り切らなくちゃダメなんですよね、きっと。

ちなみにうちのスタジオでは「二十歳超えたらみな一緒」という方針でいってます。
年齢は曲や衣装によって変幻自在に設定を変えるんですね。「この曲は可愛い系なので16歳くらいで」「このドレスはアダルトなイメージで」という感じにです。
実年齢が幾つだからって、踊りのイメージまで年相応に決めてしまうのはつまらないですから。
私も普段の人間性が至らない分、踊りくらいは大人な女に見えるように精進します。


さて、誕生日恒例のわが人生カミングアウト・シリーズ第2弾に参りましょう。
去年は私の出生の秘密をばらしましたので、今回は私がいかにしてかように変態...もとい変人になってしまったのかを自問自答すべく、子供時代のお話です。

画像は私が初めてハワイに行ったときの写真です。86年7月、つまり3歳になったばかりでした。
一緒にいるのは母マミちゃん(今ここで目が飛び出しそうになったあなたは近影をご存じの方ですね)、そして祖母です。
撮影者は祖父・良美さん(写真はないが松本幸四郎似)だと思います。
当時の私の家族はこの3人。といっても、マミちゃんは当時から働き盛りでしたから、私の相手をしてくれてたのはおもに祖父母でした。

こうして見ると何の変哲もない子供のようですが、実際は3歳にしてすでにそうとう小生意気な餓鬼でありました。
なにしろこの餓鬼は3歳の分際で幼児語をいっさい喋らず、あまつさえ自分に幼児語で話しかけてくる大人を見ると軽蔑すらしていたのです。
それは私の言語能力が異常に早く発達したせいで、とくに「お」と「を」、「わ」と「は」の使い分けと人称に関しては文字を書けるようになると同時にマスターしたのですね。
だから大人が私に向かって「『ワタシ』は○○なのかなあ~~~???」とか言ってこようものなら、「子供と思って莫迦にしよってからに」と怒っていたのです。

そういうムダに偉そうなところは随所に見られ、そうとう幼い頃から自分の納得のゆかないことに甘んじるのが大嫌いで、たとえ幼稚園や学校の先生に命じられようと、素直に従うことをしない子供でした。
先生方にとってはさぞ扱いづらい子供だったと思われます。
ただし反抗的だったというわけではなく、自分の納得のいくことや別にどうでもいいと思っていることに対してはわりかし素直だったはずです。いや、ほんとに。

たとえば幼稚園での休み時間のこと、私は教室に残って絵を描いてるか「段ボールの構造のひみつ」みたいな雑学本を読んでるのが好きだったため、どんなに天気が良かろうと他の子供が全員外に出ていようと、一人で残って遊んでいました。
本当は一人の方が好きなんですが、一緒に居たがる子供がいればべつに拒みません。
しかしあまりに引きこもってばかりいるので、見兼ねた先生が外で遊べと促します。
私からすれば、今は何をしてもよい時間なのだから室内で遊んでいたって問題はなかろうと思っているため、その場から一歩も動きません
先生の方も引き下がらず、「動かないでいると尻から根っこが生えてくる」とか非科学的なことを言って私を動かそうとするんですが、私はそんなことが起こりえないと知っているくらいには物を知っているので(←既にそういう問題ではない)、あくまでも室内に居座ります。
それでもしつこい先生にいよいよ根負けし、在園中に数度は外に出てみたのですが、外に出ても私の食指が動くものは何一つとしてないため、仕方なく日陰の柱に寄りかかって瞑想に耽りました
この時のことは、そばに立てかけてあった箒の柄まで鮮明に覚えていますね。

こういった私の異常行動を、幼稚園の先生は私の服装のせいだと思っていたようです。
当時、マミちゃんのファッションセンスは専ら私の子供服に対して注がれていました。マミちゃんはしばしば私を連れてラフォーレ原宿の子供館などに行き、メゾピアノやシャーリーテンプルなど、当時まかり間違っても栃木県内では見かけなかったような子供服を買いあさり、完璧なコーディネートを施し、前髪までクリクリにセットした私に着せていたのです。

そんなコスプレみたいなカッコウで幼稚園に行かせるものですから、先生としては「服が汚れるから外で遊ぶなと言ってるんじゃないか」と懸念したようで、実際マミちゃんにも「もっと普段着で通わせて下さい」と言ったことがあるそうな...。
しかしマミちゃんは、自分自身が餓鬼大将だった過去から子供服が汚れるのを一向に構ってなかったようですし、私は私で服装にはてんで無頓着な子供だったので、先生の心配はおよそ杞憂だったようです。

こういう生き方をしていると、周囲からは当然浮きます
今になって考えると、多くの先生方がなんとか私をほかの不特定多数に溶け込ませようと努力してくれたんだなあということに気付きますが、なにしろ自分自身が孤立をまったく苦にしないため、あまり効果は上がらなかったようです。
こんな私にも海より心の広い(もしくは自分も変人の!?)友達が何人かいましたので、学校での人間関係はそれで十分と思っていたのです。
お互いの気持ちを尊重しあってこそ仲間といえるのであり、個人の感情を殺さなきゃ維持できないような人間関係なら無い方がマシ。これは今に通ずる私のポリシーですね。

むしろ、私の個性を見出して伸ばしてくれる先生方にこそ、私は救われました。
朗読とかスピーチとか作文などの分野で、あるいは文化祭の演劇や企画・営業の分野で、突然妙なアドレナリンを出して百万馬力を発する私に活躍の場を与えてくださった先生方には、いくら感謝しても足りません。
こうして並べ立ててみると、ホント私って「なるべく当たりたくない生徒ワースト1」だったんじゃないかという気がヒシヒシとして参りまして(笑)、こんな変人の頑固者で協調性ゼロの私が世捨て人のようにならずにここまでとりあえず真っ当にやってこられたのも、そういう懐の広い方々のおかげではないかと、かように思うわけです。

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