舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

マミちゃん誕生日

2007-05-24 23:27:14 | 徒然話
本日24日は、母マミちゃんの誕生日です。
去年もお話ししましたが、我々は誕生日のおそろしく近い親子なのですね。

家族の誕生日が近くて最も困ることといえば、デニーズのバースデイパスポートです。
これ、誕生月はドリンクが無料になるという素敵なチケットで、同伴者も何人か利用できます。
つまり、家族が同じ誕生日だとえっらいムダってこと!!な、嘆かわしい~~。月じゃなくて星座で分けてくれりゃあカブらなかったのにい~~~。

しかしよく考えると、パスポート申請時も会計時も、誕生日であるという証拠を求められたことは一度もありません。なんと自己申告でオッケーなんです。
ということは、誰か一人がほかの月に申告すれば....と、イケナイ妄想が膨らむのですが、どうも肝っ玉の小さな我々にはそんな嘘とてもつけません。
まあ...いいや。どうせうちの愛用していたデニーズが閉店してしまってからこっち、パッタリ行かなくなっちゃったんだから。
というわけで、今日はデニーズではなく大人にも快く子供メニューをとらせてくれる太っ腹なお店「ばんどう太郎」のお誕生日セットを食べにいきました。

さて、去年はマミちゃんの子供時代~ハワイ留学~ダンス教師になるまでの経緯を書いたので、今年はマミちゃんが私にとっていかなる母親であったかのお話です。

出産にあたってマイカー(ポル●ェ)を操ってはるばる宇都宮の病院まで行き、男か女かもわからぬうちから独断と偏見でベビーベッドの名札に「良奈」と書き込み、入院中は子供グッズではなく自分のレッグウォーマーを編み、帝王切開で産んだのに努力と根性で通常の半分の日数で歩けるようになったマミちゃん。

マミちゃんがかように急いで復活したのはほかでもない、出産直後に発表会が控えていたからです。
おいおい、そんな時に発表会はないだろう。しかもスタジオMの記念すべき第一回発表会をですよ。
マミちゃんにいわせれば、自分の出産でレッスンが滞っていては生徒さんに悪いので、敢えてこの時期にしたんだとか。相変わらず無茶してます。

そういうわけで私は生まれた時から選択の余地なく踊ることが運命づけられていたのです。
マミちゃんが私に教えてくれたことといったらダンスだけでした(まあ、それしか能のない人なので、当然といえば当然です)。
マミちゃんは「あんたに踊れと強要したおぼえはない」とのたまってますけど、年端もいかない子供がこういう環境で育てられたら、「踊らなかったら捨てられる。確実に捨てられる」と子供心に確信せずにいられないものなのです。
彼女にいわせると、「豆腐屋の子供が豆腐づくりを手伝うのが当然なように、ダンス屋の子供は踊って当然なのだ」とのこと。なんだってまた豆腐屋なのかさっぱり分かりません。

そのかわり、学校に関してはえらく自由な母でした。
私が良い成績を取ろうと、学校に行こうと遅刻しようと休もうと、どんな高校大学に行きたがろうとオッケー。
というか、どのくらいを「良い成績」と言うのかも知らない気配すらありました(笑)。
そういえば、勉強に限らず私をほかの子供と比べることにはさしたる興味がなかったようです。
とはいえべつに放任していたわけではないんですけどね。

うちの家族はしじゅうべったりでして、私もあまり友人と出かけた記憶がありません。
友人にはさぞ付き合いの悪い女と思われていたことでしょう。
だから放課後とか休日に家族以外と出かけるのは、まず無理です。ね、放任主義じゃないでしょう。
強いていうなら私は大きめの柵に囲われた家畜みたいなもので、柵の中でならわりかし何をやっても自由だけど、柵から出ることはかなわない感じです。

べったり家族なのは母が子供の頃からの伝統で、当時は母と祖父母の3人で日がな一日一緒に過ごしていたらしいです。
彼女が大人になってからもそれは変わらず、一旦は家を出たのに数年で出戻ったくらいですから(笑)、彼女にとってよほど居心地が良かったんでしょうね。

なんて他人事のようにいってる私自身も、4年間(正確にはせいぜいその半分)を東京のアパートで過ごした結果、みごと速攻で出戻ってまいりました(笑)。歴史は繰り返すものですねえ。
その僅かな経験でわかったことは、私はもう二度と柵の中から出ていこうとは思わないであろうということです。
ということは、私はマミちゃんのようなダンスの天賦の才がないので同じようになることは不可能ですが、自分なりの形で一生ダンスと関わっていくのでしょう。
ああ、やっぱり運命だったのね。

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