TBA

(仮)

変化と進化

2017-12-28 | 本と雑誌

もういくつ寝ーるーと。

さすがに家の中でも暖房消すと息が白い。

暖房入れると空気が乾燥して、

のどや鼻が痛くなるし、

あたまも痛くなるから入れたくない。


でも、だからって毛布にくるまってると、

なんにもできなくなって、

手の届く範囲のものにしかさわらない生き物になってしまう。


早くあったかくならないかな。



やっと年賀状は書いた。

あて名とひとことだけだけど。

あしたまではすることいろいろありそうだから、

まだ気は抜けない。そうじもしないと。

もうちょっとのしんぼう。

今年はたぶん初詣も行けないし。


お墓参りもしてないな、そういえば。




「捕食者なき世界」がおもしろかった。


ラッコにオオカミにピューマ。

いろんな例が挙げられていて、

そこから日本でもシカやイノシシが増えて困ってる、とか、

エチゼンクラゲの大量発生は、

東シナ海でのサメの乱獲じゃないか、とか、

思いあたることも出てくる。


ただ、それにたいしてちょっと強引かなっていうやりかたが、

いいことなのかどうかはよくわからないけど。


どこまでさかのぼるのかもむずかしいところ。

「守るべき」里山はどうするのか、とか。

原生林を守ることとヒトの生活は両立できるんだろうか。


まあ、ヒトが猛獣としあわせに共生できるとは考えにくいし、

それは極論でそんなことを望んでいるわけでもないんだろう。


だからといって、その意見を全否定するのもいけないと思う。

やりすぎでもないちょうどいい解決策を見つけられるといいんだけど。



気になったところもある。


ヒトは危機感を取り戻さないと、っていうけれど、

民主主義を踏みにじるテロや、

自分の主張を押し通すために恫喝するような国がまわりにあると、

危機感が失われることはないのでは。


それぞれの国にそれぞれの考え方があるわけだし、

それぞれに主張すべき権利があるということすら、

認めようとしないような隣人は猛獣と変わらない。


きのうの「100分」でも思ったけど、

片方の側だけが寛容を求められ続けて、

寛容疲れになった結果が、

トランプ現象だったりヨーロッパの反グローバルだったりするのだから、

いまのリベラルメディアの主張はとっくに周回遅れになっている。


変わる勇気を持たなければいけないのはみんなのはず。

なんで一方だけが変わらされないといけないんだろうか。


そういうちいさな不満を口にすると、

ポリティカルコレクトネスと責めたてられて、

都合の悪い事実にはフェイクというレッテルを貼りつける。


そして、メディアも都合の悪い情報は遮断して大衆を操作しようとし、

それを疑うネットの情報をフェイク扱いし、

それがまたメディア不信につながっていく。


いま、貴乃花親方が語らないのも同じような理由かも。

変わらなければいけないのは、だれ?

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