きょうはわりと本格的に暑い。
ときどき風は吹くけど、涼しいとまではいかない。
あたまも痛い。
下り坂の天気のせいかな。
「海底2万マイル」ってなんのことかと思ったら、そういうアトラクションがあるのね。
「ナディア」を思い出したっていうのもピンとこなかった。
言われてみればそうだけど。
ジュール・ベルヌは原作読むのはちょっときついイメージがある。
むかし、ニッセイのアニメっていうのが年に一回くらいやってて、
それこそニッセイのおばちゃんが持ってくるパンフレットに載ってたのを、
けっこう前から楽しみに待ってた記憶がある。
それでベルヌ原作のをやってたような。
Wikipediaでリストを見たけれど「十五少年漂流記」なのかな。
「坊っちゃん」とか「二十四の瞳」もなんか覚えてる。
「二死満塁」も。
ポール・ギャリコの「トンデモネズミ」とか、
ジャック・ロンドンの「荒野の呼び声」とか、
いまでも見てみたいなあと思えるものが多いけど、再放送もソフト化もないんだろうなあ。
「ナイン」も覚えてるけど、この枠だったんだ。
違う、違う。
「海底2万マイル」のアニメを見た記憶があるんだわ。
ビルみたいなシルエットのノーチラス号が出てくるやつ。
それがニッセイのかと思ったけどちがうみたいで、
そもそもこの枠は原作に忠実みたいだし。
検索すると、こういうのが見つかる。
「海底大戦争 愛の20000マイル」
これっぽいかな。ほとんど情報出てこないけど。
そのニッセイのやつと同じくらいのころみたいだし。
ひょっとしたら、もう消されててなくなっちゃったような、
本物のオタクさんのひとむかし前の個人HPとかならくわしい情報とかもあったのかも。
「100分de名著」見た。
やっぱり、なにやら納得できないのは、
科学が台頭してきた時代に劣勢になった、神様や信仰を科学的に理論武装しようとしてる、
ように感じるからなのかな。
突き詰めれば、バタフライエフェクト、なんていうくらいで、
人の行動なんか、しょせんなにかの影響を受けないでいられるわけではない。
だからといって、行動がすべて因果律で定められてるってわけでもないように思う。
選択の余地はいつも残されてるし、最終的には自分のとった行動には自分に責任がある。
例に挙げられていたダイエット。
ダイエットをするから食べないで我慢する、のと、
おなかがすいたのに食べないで我慢する、の違いがどこにあるんだろう。
結果、食べないということを本人が選んだのなら、どっちでもいいような。
フェイクニュースの例でも同じ。
フェイクニュースを例に出した意味はわからんけど、
外的な理由が重なったとしても、最終的に犯罪を犯した事実は変わらない。
情状酌量が認められるのは、よほどの事情があるときだけだろう。
法曹界が国民から乖離しすぎるといろいろ問題が取りざたされることにはなるけれど。
そしていろんな事情が重なったとしても、
同じような状況のすべての人が同じ犯罪を犯すわけでもないだろう。
でも、犯罪を犯すという選択をしたなら、それは自分で選んだこと。
だから、罪を問われることになる。
どっかの国の暴動・略奪と同じ。
デモはわかる。抗議行動もわかる。
でも、暴動・略奪はわからん。
席を譲るどうかの話もそう。
よく言われる寄付やチャリティと同じで、
偽善であろうが本心であろうが、大事なのは行為であり結果。
偽善がいやでなにもしないよりは、売名行為でも行動したほうがはるかにまし。
「神」にしばられていない、日本人の「民度」が理解できないという、
海外がふしぎに思う日本のコロナ対策とつながってるような気がする。
お天道様に顔向けができないことをしない。
ひと様に迷惑をかけない。
空気を読む。
そういう日本の道徳ってキリスト教と関係なく発展してきてるわけで。
RUSHの”Freewill”って、こういう話と関係あるのかな。
一回ちゃんと歌詞読んでみないと。
ガンバTVの重大発表は、月1回の30分の放送…
J2時代に戻ったってことか。
J2のころはJ1昇格したら…っていう希望があったけど、
コロナってそれくらいの大ごとってことなんだろうな。
ほんと、番組なくならないでよかったって考えたほうがいいみたい。
遠藤選手のポジティブシンキングってやっぱりただものではないんだなあ。
ゴラッソセレッソは「また来シーズン」って、そのまま始まらなくて2年くらいたってるしねえ。
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