アサイチからちょっと緊張してたんだけど、
拍子抜けするくらいあっさりと終わってびっくりした。
まあ、先送りになってるだけなのかもしれないけど。
梅雨の時期になるといつも思い出すのが、」
「じゃりン子チエ」で頭の中にカビが生えるかなにか言われて、
チエちゃんとヒラメちゃんがひょうたん池で耳のあたりに手を当てて、
頭の中に風を通そうとするシーン。
すっかり雨も上がって地面もかわいてきたけど、
今週はまだ雨降るんだろうか。
じめじめするのはいやだ。
「イッテQ」のスペシャル、
お好み焼きを焼きながら見るぶんにはちょうどよかったし、
自分が食べ終わってゆっくりしたころに、
本編がはじまったのもよかったけれど。
なんでわざわざアメリカで催眠術?って思ったけど、そういうことだったのね。
「進撃の巨人」2020年秋とか。
まあ、生きてはいるんだろうけど、来年のことを言うと鬼が笑うわ。
ふつうにあさってくらいから再放送始まるけど、
見方変わるんだろうな。
壁の外には自由があると信じて無邪気に敵を倒そうとしてきたけど、
それはほんとうの敵でなかったどころか倒すべき相手ですらなかった。
『現在公開可能な情報 未来への意志』っていうのが…
放送で読み切れるはずがなくて、
あとで静止画で見たんだけど、重たいなあ、これ。
G20とか、トランプさんがやったのもこういうことなんだろうけど、
こういうのさえも否定する人もいるんだし。
なにかを敵に回して「むかつく」と思い、
「いちいち目くじら立てて」怒り「めんどくさい」人間になることで、
解決できると思いこむことってやっぱり浅いのかなあと思う。
細かい言葉にこだわるよりも、大事なのは本質だし、実際の行動なのでは。
こっちにもめんどくさいことを言うキャラクターが出てきて、
わりと賛否両論みたいだけど、
正論がなんで正論って言われるのかというと、
そのときにあえて口に出すべきでもないこと、でもあるからなのでは。
それを口にして解決できることなら言えばいいのかもしれないけれど、
解決できないなら、まわりの人を困らせるだけ。
それといつも思うのだけど、
少数派の不満を解決することで多数派が不満を抱くことになってしまうとすると、
解決策はどう選ぶのが正しいのか。
結局、誰もが少しずつ不満を分かち合うしかないんではないのかな。
ただただ「めんどくさい」人を否定はしない。
でも、近づきたくはない。
社会を分析することは必要だと思うし、
「社会の問題点を探す」学問というのが必要なこともわかる。
けれど、火のないところにわざわざ焚き付ける必要はないし、
よけいに火に油を注ぐ必要はもっとないのでは。
正論こそほんとうはじっくり時間をかけて浸透させていかないといけないもののはず。
正義に燃えた結果、いままで見えてなかった敵まで作り出して、
そこにただただ不満をぶつけるだけでは、
解決できるものも解決できなくなってしまうと思う。
「自分で考えろ」なんていうのは話し合いですらない。
ボールをただぶつけたいだけ。
避けられてしまうとそれで終わり。
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