TBA

(仮)

総監視社会、とか

2018-03-08 | テレビ番組

一日中、雨なのかと思ったら、

降ったりやんだり。

車がどろどろでうんざり。


もっと降ればきれいになるかと思ったんだけど、

帰ってきたタイミングでまた降り出した。


どろどろ決定。

また薄着になったらちょっと肌寒くなってきたし、

きょうはやることなすこと裏目裏目。




少し前に図書館に行ったときのこと、

机で本を読んでいたら、となりにすわってきたのがおじさん。

マスク越しにくちゃくちゃ音を立てたり、

ばさばさ音を立てて新聞を読んだりし、

けっこう迷惑だったんだけど、

座るときに持ってきてた雑誌を見てびっくり。

「anan」と「non-no」


病院の待合室でおばあさんが、

「WiLL」と「Hanada」を持ってるのを見たときも、

ちょっとびっくりしたけど、

いろんな人がいていいんだと思う。





「かりそめ天国」で、

ネットのバッシングがどうのこうのっていう話があったけど、

そういう一部の書き込みやつぶやきを、

おおげさに取り上げ始めたのが最近っていうだけのような。

それもマスコミにとって取り上げやすいものだけを、

大勢の意見かのように。


「総監視体制」とかなのではなく、

どんな人でも意見が言えるようになったっていうことなのでは?


「言論の自由」にハードが追い付いてきただけ。


そのうえでおかしなことを言う人が目立つようになったのはしかたがない。

「目立ちたかった」とかで、

政治家を脅迫してつかまるような人もいるんだし。

でもそんな人はごく一部なはず。


ひと昔前だったら、一般の人が意見を述べられるのは、

新聞の投書欄が関の山で、

それすら取り上げられないと載らなかったわけで、

どんな人でも少なくとも意見を表明できることは悪いことではないと思う。


だからといって、言いたいことが言えなくなった、っていうのもおかしい。

言いたいことは言えばいい。

でも、批判もされるぞ、と。


そこを理解すれば、

よけいなことを言って叩かれることも減るはず。

まあ、揚げ足を取りたい人は、

なにを言っても叩くんだろうけど。


だから「閉塞感」とか言ってしまうのもちがう。

なにを言ってもいいけれど、

発言には責任は取らないといけないわけで。



スノーボード選手の態度うんぬんの話もあったけど、

出はじめがストリートのアウトローのものだったとしても、

それがメジャーになり一般に認知されはじめたら、

もとと同じではいかなくなるのもしかたのないこと。


そういう部分がなくなるのはさみしいことではあるのだろうけれど、

一般化して商業化されたりするのがすべて悪なわけでもない。


イヤならアウトローのままでいればいいし、

アマチュアでいてもいいはず。


制約があるからこそ、

そこから外れる面白さもあるし、

また、失われるものもある。

ロックの歴史もそうだったわけで。



まあでも「人前」でくらいは、

ほかの人に不快感を持たれないように。

っていうのはふつうのことだと思うけどな。

あくまでも損をするのは自分。


アスリートにしてもふつうの人でも、

そつのない対応ができて、損をしてすることはないんだし。


どんなめちゃくちゃでも許されるくらいの、

大物になれればなんでもOKだろうし、

そのまま大物でいつづけることができればいいんだろうけど…


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