残念なことです、国鉄時代は山陰撮影の往路でお世話になりました。 しかし今まで残っていたのも不思議なことです。 「長距離鈍行」は本来は荷物車や郵便車を連結し今のように高速自動車道が整備されていない時代は物流の重要な担い手でした。 また「救」の文字が印刷された切符を持った旅客のためでもありました。 その旅客とは「生活困窮者」が対象で生活保護や刑務所を出所して生活が安定してない旅客で運賃が半額でした。 旧国鉄が公共企業体なので当然のことでしょう。
今は高速道路が整備されてツァーバスのほうが料金が安いのですが、夜行列車を走らせる経費も高くなるので存続するにも民営化されれば「公」でもないので採算性が理由なのでしょう。 しかし高齢化で長距離トラックの運転士が不足し貨物列車が見直されてることもあります。
高校時代和歌山市駅から新宮に向かう1番列車が和歌山駅で荷物車を2両増結しました。 県都が北端で南端に至るまでの物流の重要な役目を果たしてました。