あの日から16年、犠牲者の方のご冥福を祈ります。
本州3社は採算性が取れ、そして3島ま不採算路線が多いと当初は言われてましたが、これは景気の良かったころのことで現実の西日本は国鉄時代から苦戦を強いられてきました。 特に京阪神間においては、国鉄本社の意向と競合私鉄に挟み撃ちの状態だったと言えます。 その上に線路の立地場所は中心地を離れ不便なところにありました。 再開発で梅田貨物駅の工事が進んでますが「梅田」という場所が元はどんな場所だったかそれを表してますし、今は便利になりましたが京都駅界隈も繁華街の河原町通りや四条通から離れています。
車両も趣味的な考え方がありますが北海道を除き全国一律の国鉄仕様は関西の需要にはあったものではありませんでした。 「関西仕様」がやっと出たのが昭和55年の117系でした。 117系を見て阪急の2800系そして6300系を思い出しました。 それは阪急2800系に遅れること16年、その頃の2800系は通勤型に改造され格下げされたあとでした。
無理をしてきた関西国鉄(大阪鉄道管理局)と西日本、今も苦戦してます。 しかし事故だけは起こしてはなりません。 合掌