とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

ブルートレイン3車両をつくる 110

2022-10-19 18:00:00 | ブルートレイン 3車両をつくる


 本日発売分です。 特別な思い入れがあります。


 進学を断念して「さあ遊ぶぞ」と思い山陰には3回通いました。 寝台車付きの各駅停車は札幌~釧路が「からまつ」、天王寺~新宮(終着は名古屋)が「南紀」→「はやたま」、京都~出雲市が「山陰」、門司港~長崎が「ながさき」で「はやたま」と「山陰」は乗りました。 「はやたま」は高校生の時に乗りました。


「からまつ」のスハネ30です。 深夜に各駅停車を走らせるのは高速道路網が未発達だったので新聞や郵便荷物の輸送が目的でした。 下の写真の「はやたま」は寝台車が減車されてたころです、 後ろにスユニが見えます。 そのほかにも紀勢線の昼行の客車列車は荷物車が多くつながれてました。 相変わらず学校をさぼって和歌山駅でウロウロしてたころ、おばちゃんが必死でマニ60のドアをあけてました。 出発のベルは鳴り続け「おばちゃん、後ろの青い客車やで」と言ってEF58の機関士に「おばちゃんが乗るまで待ったって」と言ったら「よっしゃ」と無線機で車掌と連絡し窓から身を乗り出し、おばちゃんが乗ったとこを確認し汽笛一声「次は紀三井寺!」と助役の声がひびきます。 国鉄時代、40年以上前の128列車の思い出です。

「山陰」です、荷物車をつないだ在来型の客車時代です。 59-2で荷物車が外されオハネフ12と12系客車という、57-11前の「津軽」の秋田からの末端とほぼ同じ編成でした。「山陰」だけが残ったのはいまだにわかりませんが自分にはありがたいことでした。
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