ラッキーあぐら

幸運の上にあぐらをかく状態

ギャンブラーの掟

2012-12-15 23:48:00 | 日記・エッセイ・コラム

今日の休日出勤は午後9時までだった。
まぁ、その事を書くとボヤキに聞こえるので止めにしましょう。
さて、お題は
って帰り道にふと考えたというか『ブログネタにしてやろう』
という奴を書く事にする。
『ギャンブラーの掟』である。
私の知っている掟の中で勝った時の掟である。
『勝った事を自慢する場合は、奢らなければならない』
まぁ、時々はギャッブラーは自慢したいくらい勝つことがあるのだ。
想像していたよりも遥かに勝ってしまって自慢をする時である。
そういった場合は自慢話をする=>勝利のお裾分けをする。
『昨日、パチスロで8万円勝ったんだよ』と言えば
『今日は飲みに行こうぜ、おごるからさぁ』って事なのである。
誰が人の自慢話を喜んで聞く、負けた話は面白いけど
買った話など面白いためしがない。
で、中には『自慢話だけで終るルール破りがいるのである』
『昨日、ジャグラーで8万、両替したんだ』
『ジャー、今日はぱっと行きますか!』というと
『なんで、おごんなくちゃいけないのよ』ってな具合である。
誰とは言わないけど
『自慢話だけかよ』と冷たい目で見る事になるのである。
そういう事が重なると、自慢話をしそうな鼻の穴をおっぴろげて
寄ってきても、軽くいなすか無視をする事になるのである。
そして、こいつはケチだし、常識知らずなお子チャマという
レッテルを貼ることになるのである。
ギャンブルによる人間性が現れてしまうわけだ。
私は貧乏であるけど、そういう人間性は普通に持っているので
時としてギャフンという事がある。
競馬で500円が15000円になった時、嬉しすぎて
『裏の村さきで奢るよ』って言ってしまったらわっさわっさ来て
15000円を軽く超える出費をした事がある。
ギャンブルに勝つことはお金を儲けるって事なのに
『勝った、振舞った』という思い出に消えてしまったわけだ。
ギャンブルは累計すると凄く負けているに違いない。
でも、勝った時の嬉しさが何か変えがたい喜びでもあるわけだ。
最近は、一円パチンコをギャンブルとしている
大勝ちする事はない。たまーに勝つと100円ショップで
酒のツマミを2、3品買うのである。
そのリッチ感、私は庶民の味方である。
明日は選挙だ、こういう感覚の政治家が居たら一票投じようと思うが
誰一人、国民を見ないで『国民のため』とかほざいている。