自分が入院することはないと思っている、たいていの人はそうだ。
しかし突然、その日がやってくる、。これもたいていの人がそうだ。
そういうことで、突然入院することになった。
だが、当然伏線はある。
1月の24日に最初の兆候はあったのだが、少し甘く見ていたのは事実である。
というか、その前から時々頭痛があって、ひどいときは鎮痛剤で抑えていたが、
そうでもないときは我慢して、しかし不快な毎日ではあったのだ。
27,28日は頭痛がかなりひどくて、特に28日の夕方から食欲が無くなり、
吐き気が出て、29日の朝も全く食べられない状態になった。
娘が孫を保育園に送っていったついでに病院の受付をしてもらって、
9時半頃、細君に阿蘇医療センタ-に送ってもらった。
この病院は院長が脳神経外科なので都合がよかったのだ。
診察後早速CT検査をし、その結果「午後手術しましょう」という話になった。
病名は、慢性硬膜下血腫。頭に穴を開けて血腫を除去するのが手術の内容。
ところがことはそう単純ではない。
というのが、私は訳あって、バイアスピリンという血液サラサラの薬を常用していたのだ。
そのため血の止まりが遅く、このまま手術をすれば、血が止まりにくく失血の恐れがあると言うことなのだ。
薬の効用が抜けるのに3日くらいかかるらしい。
現に、その日の検査では、血が止まるまで5分30秒かかり、これは通常の2倍近いらしい。
ということで手術は2月2日の午後という予定になったのだが、
かなりの頭痛である。食欲も全くない。
栄養剤の点滴と一緒に脳圧を下げる薬も点滴する。
30日から31日の昼にかけては、その薬が効いたのか頭痛もそれほどではなくなり、少しは食事も食べられた。
しかし、31日の夜から1日は頭痛がひどくなり、吐き気も出てきた。
夕方には、少し食べた食事を戻してしまった。
その状況を見た看護師さんが、院長に連絡してくれたようで、
日曜日にもかかわらず、登院してくれた院長は、今夜手術をしようと決断。
CTの技師や看護師に招集がかかったようだ。
もちろん、細君にも連絡が行く。午前0時前後だったろうか。
私は頭痛と気分の悪さで、状況をぼんやりと把握するだけの状況だった。
さて、CTを撮って手術室に入ることになるのだが、これからは次回に。
しかし突然、その日がやってくる、。これもたいていの人がそうだ。
そういうことで、突然入院することになった。
だが、当然伏線はある。
1月の24日に最初の兆候はあったのだが、少し甘く見ていたのは事実である。
というか、その前から時々頭痛があって、ひどいときは鎮痛剤で抑えていたが、
そうでもないときは我慢して、しかし不快な毎日ではあったのだ。
27,28日は頭痛がかなりひどくて、特に28日の夕方から食欲が無くなり、
吐き気が出て、29日の朝も全く食べられない状態になった。
娘が孫を保育園に送っていったついでに病院の受付をしてもらって、
9時半頃、細君に阿蘇医療センタ-に送ってもらった。
この病院は院長が脳神経外科なので都合がよかったのだ。
診察後早速CT検査をし、その結果「午後手術しましょう」という話になった。
病名は、慢性硬膜下血腫。頭に穴を開けて血腫を除去するのが手術の内容。
ところがことはそう単純ではない。
というのが、私は訳あって、バイアスピリンという血液サラサラの薬を常用していたのだ。
そのため血の止まりが遅く、このまま手術をすれば、血が止まりにくく失血の恐れがあると言うことなのだ。
薬の効用が抜けるのに3日くらいかかるらしい。
現に、その日の検査では、血が止まるまで5分30秒かかり、これは通常の2倍近いらしい。
ということで手術は2月2日の午後という予定になったのだが、
かなりの頭痛である。食欲も全くない。
栄養剤の点滴と一緒に脳圧を下げる薬も点滴する。
30日から31日の昼にかけては、その薬が効いたのか頭痛もそれほどではなくなり、少しは食事も食べられた。
しかし、31日の夜から1日は頭痛がひどくなり、吐き気も出てきた。
夕方には、少し食べた食事を戻してしまった。
その状況を見た看護師さんが、院長に連絡してくれたようで、
日曜日にもかかわらず、登院してくれた院長は、今夜手術をしようと決断。
CTの技師や看護師に招集がかかったようだ。
もちろん、細君にも連絡が行く。午前0時前後だったろうか。
私は頭痛と気分の悪さで、状況をぼんやりと把握するだけの状況だった。
さて、CTを撮って手術室に入ることになるのだが、これからは次回に。