ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

入院生活て、どう?  -4-

2015年02月20日 | 日記(?)
手術から一昼夜が明け、傷口の痛みはほとんど無くなっている。
朝のうちに主治医の先生が来て、血腫の残りの排出具合を見る。
看護師に注射器をもってこらせ、チューブから強制的に血腫の液体を抜くのだ。

少し痛いかもしれないと言われたときには既に吸入されていて、
キーンと言う感じ、痛くはないが締め付けられる感じがする。
これを左右両方して、「じゃあ午後にチューブを外して傷を止めましょう」
と言って先生は外来診察に出られた。

昼までは安泰か、と言う思いと同時に、昼まで痛みは持ち越しかという待ちの苦しみもあるのだ。
今日からは普通食の食事も出るのだが、とても食欲はなく、
45度まで起きていいというものの、45度の傾斜では姿勢的にも食べる姿勢にならない。
ぼんやりとベッドで過ごすうちに最初の日のことを思い出した。

初日に血液凝固の関係で、手術を見送ったが、入院して経過を見ることになり、
4人部屋の窓側のベッドに収容された。
隣のベッドはまだ40歳前後の男で、病状はよく分からない。

この男が鼾かきなのだ。昼寝も夜も寝ている間中鼾をかいている。
時々、無呼吸症候群があるのか、10~15秒鼾が止まるのだが、その後はいっそう激しい鼾になる。
頭の痛みや不快感に加えて、夜中中の鼾で、初日はほとんど睡眠できなかった。
翌朝、看護師にあまり眠れなかったなどとノタマワっている。
おまえ!ぶん殴ってやろうか。
細君に電話して、早々に個室に変えてもらった。

そのときに思いついた短歌が以下。
お隣の 鼾うるさく 眠られぬ 無呼吸症候 続けと祈る
いささかブラックではありますが、正直な気持ちでもあります。

閑話休題

午後になって看護師2人従えて再度先生の登場である。
いよいよチューブを外すのだが、最後にもう一度注射器で残りの液体を吸い上げて、
「消毒液とステプラー」と看護師に指令を出し、
強烈な痛みで左を2本、恐怖に震える私をものともせず、右を2本のホチキス針で頭皮の傷を止められた。

その間、脂汗を流す私を看護師が優しく押さえてくれて、ああ天使だあと思ったものだ。
「痛かったですねぇ。よく頑張りましたねぇ。」と腕をさすってくれ、
これが天使でなくてどうする。

まともあれ、瞬間的な痛みはあったものの、続くのはそれほどの痛みではない。
1時間ほどして、天使が部屋に来て、「シャワーしますか?」という。
先生が「洗髪してもいい」とはいっていたが、さわれば傷は痛む。
どうしようかと迷ったものの、髪の毛は、手術の際の消毒液と出血で悲惨な状態である。

さらに、細君と天使の看護師さんとを天秤にかければ、
絶対天使の方がこういう状況になれているはずで、間違いなかろうと判断し、
「お願いしますと」返事をした。
もちろん、下心などあるはずもない。

風呂場で衣服を脱ぐのに照れはあるけど、そこは病人、恥ずかしさは捨てる。
髪を優しく洗ってもらい、体も背中を洗ってもらい、さすがにほかのところは自分で洗い、
約1週間ぶりの風呂はシャワーだったが、生き返る思いで病室に帰る。

これからは起き上がっても大丈夫という生活が始まる。
ただ点滴とバイタルチェックの機器に拘束されて、まだ歩くことは叶わない。
術後36時間経過した状況である。日に日に回復の予感。
コメント
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