2016/11/7
152番バスでベンタンバスステーションから空港へ向かう。
これにて9回目のベトナム旅は終わる。
最後に今回旅をして感じたことや思い出したこと、そんなことを綴ってみよう。
1.急逝した友のこと
20年前、はじめて旅したベトナム。
1997年7月、まだ日本からの観光客も少ないベトナムに友人2人と一緒に3人旅をした。
これが初めてのベトナムの旅になる。
今回帰国前の6日にタンソニャット空港から市内に行く途中、
あまり広くはないが、並木のある通りをバスが行く。
あ~ぁ、この道は20年前に白タクで通ったなぁ、この公園も道すがらだったよなぁ。
そんなことを思い浮かべていると、自然一緒に行った友人のことを思い出してしまった。
菅笠の女性たち。20年前も働き手は女性だった
一人はその後、ずっと一緒に旅をする旅仲間となったが、
もう一人は、何度か誘ったものの、ついには一緒に旅することなく、昨年亡くなってしまった。
あの旅で、彼が言った言葉や、彼の驚きや喜び、そんなものが次々に思い起こされ、
それはまた彼を失った深い喪失感を思い起こさせた。
「10年後は随分変わっているでしょうね。その頃来てみたいですね。」と、その旅で彼は言っていた。
10年を経た頃、君を誘ったよね。一緒にベトナムの変わり様を見に行こうよ、と。
あれからもう20年を迎えて、激流のように変わっているホーチミンを君に見せたかった。
生きて一緒だったら、君はどんな感想を述べてくれただろう。
その言葉と、君の驚きをもう一度共にしたかった。
何故今のベトナムを見ないで君は行ってしまったのか、それが残念でならない。
2.バンメトートの雨の夜
バンメトート最後の夜は、激しくはないが、しかし休みのない雨だった。
毎夜開かれる市場周りのナイトマーケットも中止となり、通りはどこも静かだった。
夕食を終えた私は、市場の通りを宿に向かって帰っていた。
ほとんど人通りはなく、傘を差して通りかかる人がぽつりぽつりと見かけられるくらいの中、
一組の親子が傘も差さずに歩いてくる。
父親と娘の親子は、貧しい身なりで、履き物はすり減ったゴム草履、
傘もなく、うつむき加減で前後に連れだって歩いている。
既に濡れそぼった衣服は身体にへばりつくようで、寒そうにしている。
すれ違うときに見ると、父親は40代くらいか、娘は小学生の高学年か、
どちらも痩せて、娘の足は棒のように細い。
可哀想だという哀れみより、無性に切なくなって、しばらく父娘の後ろ姿を眼で追った。
私の孫に小六の女の子がいる。
雨に濡れながら、肩を落として父親の後ろを歩いている女の子が孫の姿と重なって、
ただただ切なかった。
あの子は私の娘であり、私の孫でもあるのだ。いや私自身でもある。
生まれてくる時代や場所が異なれば、彼(彼女)は私であり、私は彼(彼女)なのだ。
ファンランのホテルの娘たち。豊かではないが満たされているのだろう
人はどこに生まれてくるかは選べない。
どこに生まれるかで別れるその後の人生というものに、どうしようもない理不尽を思いながら、
誰かの涙のように降り続く雨の中で、バンメトート最後の夜は更けていった。
3.ホーチミンの夜に一人
ベトナム最後の夜は、ホーチミンで過ごした。
ベンタン市場からレロイ通りを歩いていると、歩道に物乞いの親子がいる。
地方では見かけないが、大きな街では時々見かける風景だ。
たいていは帽子を差し出すように前に置き、必ず小さい子どもを手に抱くか側に侍らせている。
通りすがりに見ると、その帽子には何も入っていない。
私は少し戻って、某かのドン札を帽子に入れる。
ありがとうも、礼の動作もない。
2人目の母親は、それどころではない慌ただしさで札の種類を確認している。
ほとんどのベトナム人も観光客も一顧だにせずに物乞いをやり過ごしていく。
まるで彼らがそこに存在していないかのようだ。
一日にあの帽子の中にどれだけのドン札が入るのか、悲観的な気持ちになる。
私が入れた札では、子どもの一食分くらいがせいぜいである。
根本的に救うことなど、通りすがりの観光客にできようもない。
しかし、ベトナムという異国であっても、生を受けた人間であるからには、
彼らもまた我々なのだ。
たとえ自己満足であっても、何もせずに黙って通り過ぎる訳にはいくまい。
母親の、ドン札を確認するような動作に興ざめしても、
それもまた致し方ない事情ではあると納得しようではないか。
助ける助けないではない、母親に抱かれた子どもの飢えを一時でも満たしてやりたい。
ただそれだけのことである。
ホーチミンの夜に一人、無力なだけの一人に過ぎないことを突きつけられて、
ベトナム最後の夜を過ごすしかなかった。
非常な早さで変わりゆくホーチミンの象徴と言っていい通り
激流のように変わりゆくベトナムの中で、淀みに取り残される人々が沢山生まれる。
世界を見れば自明のことである。
残念だが、それがこの20年にわたるベトナムへの旅で見つけたことの一つである。
そのことがとても心に残った旅だった。
152番バスでベンタンバスステーションから空港へ向かう。
これにて9回目のベトナム旅は終わる。
最後に今回旅をして感じたことや思い出したこと、そんなことを綴ってみよう。
1.急逝した友のこと
20年前、はじめて旅したベトナム。
1997年7月、まだ日本からの観光客も少ないベトナムに友人2人と一緒に3人旅をした。
これが初めてのベトナムの旅になる。
今回帰国前の6日にタンソニャット空港から市内に行く途中、
あまり広くはないが、並木のある通りをバスが行く。
あ~ぁ、この道は20年前に白タクで通ったなぁ、この公園も道すがらだったよなぁ。
そんなことを思い浮かべていると、自然一緒に行った友人のことを思い出してしまった。
菅笠の女性たち。20年前も働き手は女性だった
一人はその後、ずっと一緒に旅をする旅仲間となったが、
もう一人は、何度か誘ったものの、ついには一緒に旅することなく、昨年亡くなってしまった。
あの旅で、彼が言った言葉や、彼の驚きや喜び、そんなものが次々に思い起こされ、
それはまた彼を失った深い喪失感を思い起こさせた。
「10年後は随分変わっているでしょうね。その頃来てみたいですね。」と、その旅で彼は言っていた。
10年を経た頃、君を誘ったよね。一緒にベトナムの変わり様を見に行こうよ、と。
あれからもう20年を迎えて、激流のように変わっているホーチミンを君に見せたかった。
生きて一緒だったら、君はどんな感想を述べてくれただろう。
その言葉と、君の驚きをもう一度共にしたかった。
何故今のベトナムを見ないで君は行ってしまったのか、それが残念でならない。
2.バンメトートの雨の夜
バンメトート最後の夜は、激しくはないが、しかし休みのない雨だった。
毎夜開かれる市場周りのナイトマーケットも中止となり、通りはどこも静かだった。
夕食を終えた私は、市場の通りを宿に向かって帰っていた。
ほとんど人通りはなく、傘を差して通りかかる人がぽつりぽつりと見かけられるくらいの中、
一組の親子が傘も差さずに歩いてくる。
父親と娘の親子は、貧しい身なりで、履き物はすり減ったゴム草履、
傘もなく、うつむき加減で前後に連れだって歩いている。
既に濡れそぼった衣服は身体にへばりつくようで、寒そうにしている。
すれ違うときに見ると、父親は40代くらいか、娘は小学生の高学年か、
どちらも痩せて、娘の足は棒のように細い。
可哀想だという哀れみより、無性に切なくなって、しばらく父娘の後ろ姿を眼で追った。
私の孫に小六の女の子がいる。
雨に濡れながら、肩を落として父親の後ろを歩いている女の子が孫の姿と重なって、
ただただ切なかった。
あの子は私の娘であり、私の孫でもあるのだ。いや私自身でもある。
生まれてくる時代や場所が異なれば、彼(彼女)は私であり、私は彼(彼女)なのだ。
ファンランのホテルの娘たち。豊かではないが満たされているのだろう
人はどこに生まれてくるかは選べない。
どこに生まれるかで別れるその後の人生というものに、どうしようもない理不尽を思いながら、
誰かの涙のように降り続く雨の中で、バンメトート最後の夜は更けていった。
3.ホーチミンの夜に一人
ベトナム最後の夜は、ホーチミンで過ごした。
ベンタン市場からレロイ通りを歩いていると、歩道に物乞いの親子がいる。
地方では見かけないが、大きな街では時々見かける風景だ。
たいていは帽子を差し出すように前に置き、必ず小さい子どもを手に抱くか側に侍らせている。
通りすがりに見ると、その帽子には何も入っていない。
私は少し戻って、某かのドン札を帽子に入れる。
ありがとうも、礼の動作もない。
2人目の母親は、それどころではない慌ただしさで札の種類を確認している。
ほとんどのベトナム人も観光客も一顧だにせずに物乞いをやり過ごしていく。
まるで彼らがそこに存在していないかのようだ。
一日にあの帽子の中にどれだけのドン札が入るのか、悲観的な気持ちになる。
私が入れた札では、子どもの一食分くらいがせいぜいである。
根本的に救うことなど、通りすがりの観光客にできようもない。
しかし、ベトナムという異国であっても、生を受けた人間であるからには、
彼らもまた我々なのだ。
たとえ自己満足であっても、何もせずに黙って通り過ぎる訳にはいくまい。
母親の、ドン札を確認するような動作に興ざめしても、
それもまた致し方ない事情ではあると納得しようではないか。
助ける助けないではない、母親に抱かれた子どもの飢えを一時でも満たしてやりたい。
ただそれだけのことである。
ホーチミンの夜に一人、無力なだけの一人に過ぎないことを突きつけられて、
ベトナム最後の夜を過ごすしかなかった。
非常な早さで変わりゆくホーチミンの象徴と言っていい通り
激流のように変わりゆくベトナムの中で、淀みに取り残される人々が沢山生まれる。
世界を見れば自明のことである。
残念だが、それがこの20年にわたるベトナムへの旅で見つけたことの一つである。
そのことがとても心に残った旅だった。
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