ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

入院生活て、どう?  -3-

2015年02月19日 | 日記(?)
手術が終わって部屋に帰り、4,5時間を過ぎるくらいから、傷口が痛み出した。
昨日までのような頭を締め付けられるような痛みではない。
頭皮が強く引っ張られるような痛みである。

どうにもたまらなくて、痛み止めのロキソニンを処方してもらった。
おまけに頭には開けた穴にチューブが繋がっていて、じっと仰向けのままで不自由この上ない。
痛みは薬のおかげで、午後には和らぎ、そのまま痛むことはなかった。

この日の担当看護師さんは、まだ若いのか、何とも頼りなく、
「ほかの看護師さんに聞いてきますね」とか言ってオロオロする場面が多い。
それでも一生懸命さは伝わるのだが、いまいち患者に対する口の利き方が気に入らない。

地方の病院にありがちな、患者へのタメ口である。
本人は親しみのつもりか知らないが、年配の患者にタメ口は気に入らない。
そんなときは返事をしないのだ。
患者の尊厳を傷つけないように、丁寧な言葉を使うべきで、
親しみは患者に接する態度で示せばいいのだ。

それやこれやで、夕方になり、横向きに寝ても大丈夫と言うことを先生から聞いてくれて、
これはずいぶん楽になったと同時に、横向きになったことで、血腫の残りの液体もだいぶ排出された。

楽になったと言っても、左腕には栄養剤の点滴が24時間、抗生剤点滴が2回。
右手指先には酸素計測器や、ほかにも心電図、血圧は1時間に1回計測するバイタルチェックの機械がついている。
あまり眠れないので、夜は精神安定剤をもらって眠ることができた。
それでも、左右を繋がれて自由な姿勢はとれず、1時間に1回は血圧計に締められ、
眠りは浅いながら、前日までの頭の重苦しさにくらべれば天地の差である。

明日は、頭のチューブもとれ、傷口をホチキス(ステプラー)で塞ぐことになっている。
あの先生のことだから麻酔なしだろうなぁ。
早くもびびる患者なのであった。
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入院生活て、どう?  -2-

2015年02月17日 | 日記(?)
手術室に入る前に、再度CTを撮る。
それから手術室に入るのだが、これからの記憶は頭痛や局所麻酔の関係もあって、
朦朧とした状態もあり、実は定かでない部分も多々ある。

事前のCTで分かっていたのだが、血腫が左右にあって、
一つを取るのに約30分、計1時間程度の手術ということだった。
あとで聞いた話だが、手術室に入ったのが午前2時過ぎ、病室に戻ったのが4時頃だったらしい。

手術室に入ると、まず手術台の上に移動するのだが、
その前に再度吐き気を催し、吐瀉してしまった。
オペ台の上に横になり、顔の上に何かかぶせられて、麻酔を打たれる。
結構な痛さで麻酔の針が刺さるのが分かる。

その後は、消毒液を振りかけられ、先生の声が行き交い、看護師の返事が行き交い、
思い出せるのは、「ドリルの何番」という声の後、頭にゴリゴリという感触があって、
ああ、穴が開いたんだということは分かったが、左右どちらが先だったかは記憶にない。
多分右だったろう。傷口をステプラーで止めたのは右が先だったから。

途中、「焼くので少し痛いですよ(そう聞こえた)」という先生の声がして、
筆舌に尽くしがたいような痛みが2回あった。
今までに経験したことのない種類の痛みで、二度とは御免被る類の痛みだった。
ただ、瞬間的な痛みで、後を引かなかったのが幸いか。

その後、まず右側をステプラーで止めるのだが(以前は縫っていたらしいが)、
麻酔があまり効いていなくて、これまた飛び上がるくらいに痛い。
左を止めるときは、再度麻酔を打たれ、痛みは少なかった。
傷口は、左右で十数本のステプラー針で止められた。

穴の開いた部分にチューブが繋がれて、
一晩はつけっぱなしで、抜けきれなかった血がチューブから袋にでてしまうように処置するのだ。
頭はゴム包帯の帽子でしっかり固定され、オペ台からベッドに移される。

ベッドのまま病室に運ばれ、細君と再会したのは、午前4時前後だったらしい。
局所麻酔のおかげで傷口の痛みはなく、しばし眠る。
先生の言葉通りに、脳外科手術の中ではごく軽い類の手術らしい。
しかし、まあそれなりには緊張し、痛みもそれなり(以上)に味わったようだ。
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入院生活て、どう?  -1-

2015年02月16日 | 日記(?)
自分が入院することはないと思っている、たいていの人はそうだ。
しかし突然、その日がやってくる、。これもたいていの人がそうだ。
そういうことで、突然入院することになった。

だが、当然伏線はある。
1月の24日に最初の兆候はあったのだが、少し甘く見ていたのは事実である。
というか、その前から時々頭痛があって、ひどいときは鎮痛剤で抑えていたが、
そうでもないときは我慢して、しかし不快な毎日ではあったのだ。

27,28日は頭痛がかなりひどくて、特に28日の夕方から食欲が無くなり、
吐き気が出て、29日の朝も全く食べられない状態になった。
娘が孫を保育園に送っていったついでに病院の受付をしてもらって、
9時半頃、細君に阿蘇医療センタ-に送ってもらった。

この病院は院長が脳神経外科なので都合がよかったのだ。
診察後早速CT検査をし、その結果「午後手術しましょう」という話になった。
病名は、慢性硬膜下血腫。頭に穴を開けて血腫を除去するのが手術の内容。

ところがことはそう単純ではない。
というのが、私は訳あって、バイアスピリンという血液サラサラの薬を常用していたのだ。
そのため血の止まりが遅く、このまま手術をすれば、血が止まりにくく失血の恐れがあると言うことなのだ。
薬の効用が抜けるのに3日くらいかかるらしい。
現に、その日の検査では、血が止まるまで5分30秒かかり、これは通常の2倍近いらしい。

ということで手術は2月2日の午後という予定になったのだが、
かなりの頭痛である。食欲も全くない。
栄養剤の点滴と一緒に脳圧を下げる薬も点滴する。
30日から31日の昼にかけては、その薬が効いたのか頭痛もそれほどではなくなり、少しは食事も食べられた。
しかし、31日の夜から1日は頭痛がひどくなり、吐き気も出てきた。

夕方には、少し食べた食事を戻してしまった。
その状況を見た看護師さんが、院長に連絡してくれたようで、
日曜日にもかかわらず、登院してくれた院長は、今夜手術をしようと決断。
CTの技師や看護師に招集がかかったようだ。
もちろん、細君にも連絡が行く。午前0時前後だったろうか。
私は頭痛と気分の悪さで、状況をぼんやりと把握するだけの状況だった。

さて、CTを撮って手術室に入ることになるのだが、これからは次回に。
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