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司馬遼太郎「功名が辻」にみる千代のコーチング 6

2006年01月22日 | 読書
NHKの大河ドラマの方では、伊賀忍者の望月六平汰が登場してきましたが、こちらの方では伊賀の「くのいち」女忍者の小りんが登場してきます。

京都に滞在中の織田軍兵舎の中で、一豊も傷養生をしていた。
ある雨の夜、若い女が「両親が死んで、叔父を訪ねて京都へ来たが居所が分からず難儀をしている」と、言って、雨に濡れていたのを、郎党達が「可哀相なので宿舎にに泊めてやろう」と、いうことになった。
その夜、伊右衛門は、(千代に悪い)と、思いながらも、小りんを抱いてしまい。
翌日も、(千代との誓いを裏切った)と、思いながらも、またしても、小りんを抱いてしまう。
その夜半、法螺貝が鳴った。陣触れの合図だ。
飛び起きて、具足を付け、ふと辺りを見ると小りんが居ない。
伊右衛門は、軍中に触れが出ていることを思い出した。
「浅井、朝倉の諜者が京に多数入り込んでいる。それに用心せよ」と、いうものだった。

信長は、浅井、朝倉攻めをせず、そのまま岐阜へ帰った。
伊右衛門も、数ヶ月ぶりに千代の待つ屋敷へ帰った。
その夜、千代は夜食の時に、伊右衛門の頬の傷跡の大きさに改めて驚いてみせた。
「大きうございますこと、城下の噂で聞いておりましたが、ほんのかすり傷と承っておりましたのに」
「この傷には、ひと夜語り明かしても尽きぬ物語があるぞ」
なまなかな傷ではない。一躍二百石に加増された傷である。
「ノミのような矢じりが、頬をつらぬき、口を突き通って、こちら側の奥歯を砕き、歯の根にささって、吉兵衛めがおれの顔を踏んでやっと引き抜いたほどの傷じゃ」
(よくまあお命が)
と、千代は胸が熱くなったが、顔には出さず小首をかしげてじっと微笑した。
「なんじゃ」
伊右衛門は、千代の顔を覗き込んだ。
「いいえ、あの、そのお傷で、男ぶりが一段と上がられたと思いましただけ」
伊右衛門も悪い気はしない。
「それほどか」
「なんなら、鏡を」
と、伊右衛門の顔を映して見せた。
確かに武者ぶりが上がっている。元の顔だちはどちらかといえば、能役者にふさわしいほどにやさしかったが、この向こう傷のおかげで、十騎並んでも目立つほどのいい武者面になっている。
「きっと、ご開運のお傷でございましょう」と、千代はおだてた。
「でも、もうお傷はなさいませぬように、千代は毎日、井奈波の宮にお詣りしておりました」
「そのおかげで、この傷程度で命を取り留めたのかも知れない」
「兎に角、旦那様、ご加増おめでとうございます」
「いやいや、千里を行く者はこれしきの小成に喜んではならぬ」
「よいお言葉」
千代は、惚れ惚れと伊右衛門を見た。
その気持ち、忘れるな、と言いたいところだろうが、言葉に出しては言わない。
母の法秀尼の教えには、男へは訓戒めいた事を言っては、かえってツムジを曲げて逆効果になるという。
千代は、聡い。ほのかに、おだてている。
おだてられれば、七の能力の者もおのれに自信を得て十ほどの力を出すこともあるものだ。

翌朝、伊右衛門は屋敷で終日、戦塵の疲れを癒そうとして、朝も陽が昇ってから起きた。
耳だらいに湯をくませ、縁側で髭を剃り、鼻毛を削いでいると、千代がやってきて、髪を梳き、新しい元結いにかえてくれた。
その後、ニキビをつぶし始めた伊右衛門に、部屋の隅で袴に火のしを当てながら、千代が、微笑を向けて、
「一豊様、今日はご用がおありなのではございませぬか?」
「いや、ないんだ」
「忘れていらっしゃる」と、くすくすわらっている。
千代の胸中、伊右衛門の暢気さが歯がゆくてならない。

二百石に加増された以上、戦に臨む場合、それだけの人数が必要である。
こういう定員を軍役という。二百石ならば、基準として、騎馬武者二騎、歩卒六、七人は必要であった。
因みに、戦国武士というのは、徳川武士とはひどく違う。徳川武士のようなじめついた忠義の観念は極めて薄い。
要するに、主人に対して、功名を請け負っているのである。言い換えると、二百石の山内伊右衛門一豊は、一つの企業である。信長という親会社に対し、功名を請け負ってると言って良い。
同じ二百石でも、徳川武士の場合なら家格の体裁として侍、中間、小者を召し抱えれば良かったのだが、戦国武士の場合は、出来るだけ有能な士を探し、口説き、自分の食を切りつめても彼らを優遇しないと、大きな働きが出来なかった。

(のんびりしていらっしゃる)と、千代は思うのである。
今日から人探しに夢中になるのが当然ではないか。
「吉兵衛と新右衛門が、大喜びでございましたよ。馬に騎れる武士になれた、と申しまして」
(そうだった)
「千代、家来を探さねばならぬ、わしはお前のように気楽ではない。今日は忙しいのだ。そうそう、亡父の旧領だった黒田村(尾張国羽栗郡)へでも今から出掛けて行って人を探して来ようかと思う」
「まあ、お忙しうございますこと」
千代は、火のしをあてつつ、うつむいて忍び笑っている。

「黒田村は、今日で、明日はどこへいらっしゃいます?」
千代は、いつもそれとなく先を打ち、伊右衛門の考えにヒントをあたえるのである。
伊右衛門は、黒田村だけを考えて、明日は何処のするとかを思わなかった。

つづく

千代は、伊右衛門の顔の傷を見て驚いたろうに、「男ぶりが上がった」と、褒めている。そして、もう傷は負ってくれるなと、神に祈りながら待っていた気持ちを伝えた。
妻に戦場での働きを褒められ、自分を大事に思っていると言われれば、大抵の男は参ってしまうだろうな。
のんびりしている一豊を見ても、叱咤したりせずに、なにげなく優しく話し掛けるあたりが、千代のコーチングの上手さですね。
黒田村という、目標の次に、明日はどこへ?と言う辺りがコーチングのツボでしょうか。
考えてもいなかった答えを、伊右衛門はどうだすのでしょうか。

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