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司馬遼太郎「功名が辻」にみる千代のコーチング 7

2006年01月24日 | 読書
この時代、郎党を探すのは、普通自分の出身の地や、血縁に限られていた。渡り者と違って、隋身の気構えが違う。縁のある土地と言えば、自分の出身の村、知行地、等である。伊右衛門が新しく貰った知行地は尾張国内にあるが、まだ縁がうすい。
「美濃の不破などに、ぶらりとお遊びがてらにいらっしゃいませぬか」
「おお、そうであったな」千代の実家だ、それを忘れていた。
「それでは今日、使いを出しておきましょう。叔父の市之丞は一豊様が大好きですから、もうおろおろして喜ぶに違い有りません」
実のところ市之丞は、伊右衛門に対してそれほどでもない。しかし、そういうように言えば人と人とのつながりが上手くゆく、という知恵を千代は生まれつき備えているのである。
「それに、吉兵衛と新右衛門は、ふたりともお連れあそばすのでございましょう?」
「ああ、連れて行く」
「あの者どもは、ぜひ殿より先に、新規お召し抱えの者に会いたいとそればかり楽しみにしているようでございますわ」
「ほう」伊右衛門は考えた。
成る程、考えてみれば伊右衛門がまず会うよりも、彼らに会わせ、彼らが推挙する。という形を取れば、これからの「山内家臣団」の人間関係が上手く行く。
「そうすれば千代、おれは行かずとも、この屋敷でじっとしておればよさそうだな」
「お大名になりあそばしたときは、きっとそうなさいませ」千代は、ほがらかに笑うのだ。
「しかし、今のご身分なら、木下藤吉郎様のように軽々しいとのそしりを受けるほどに気安く出向いて人にお会いあそばした方が、召し抱えるときでも、わざわざ出向いてまで自分を見込んでくれているのか、と物喜びするものでございます」
「そうか」と、出掛けた。

馬上、なにやら、千代の言いなりになっているような、との気がしたが、直ぐに男の自尊心がそれを打ち消した。
(なに、どれもこれも、我が考えたことを千代が、くまどっているだけのことだ)伊右衛門は、その後、数日、尾張黒田村、美濃不破郷などに行き、しかるべき百姓家から、二男、三男を物色し、歩卒十人を選んだ。みな、屈強の若者である。
二百国では、七人が経済的な限度である。多すぎるかなと不安になった。
今の知行は新知だから、まだ年貢が入ってこないのである。当分は、従前の貯えでやらねばならなかった。

「千代、やってゆけるだろうか」
「なんとかなりましょう」
「あっははは、お前は暢気でいい。人間は毎日米を食うのだよ。衣類もいる。武具も買ってやらなければならない」
「ほんと」
「おいおい、今更気付いたのかえ」
「いいえ、一豊様が、ぞんがい細かいことにおつむをお使いなさる、と感心したのでございます」
「女房殿が暢気だと、つい使いたくなるものだ」
「申し訳ございませぬ」
「わしは、父が討ち死にしてから流亡の生活を送って、年少で辛酸を舐めている。それからいえば、お前は同じように戦場で父を失ったものの、いい伯父を持って苦労知らずに育った。その苦労の違いだ。人間苦労すべきではない。苦労しすぎると、ついつい先々のことばかり心配になるものだ」
「千代はのんき育ちでございますから、先々のことは陽気に考えております。この戦でまたお手柄をおたてくだされば、十人ぐらい楽に養えますもの」
「手柄とは、武運が必要だ」
「一豊様は、生まれつき、ご武運に恵まれていらっっしゃいます。千代はそう信仰しております」
「ほう、そう信じているのか」
「いますとも」
伊右衛門は、千代とこう云う会話をかわしていると、その場だけでも楽天家になってしまう」
「成る程、おれは武運があるかなあ」
「ございますとも」
「それならありがたい。ところが千代、如何に次の合戦で働こうと、今日、明日の米がなければ彼らは養えないよ」
「一豊様、私どもが、粗服を着、雑穀を食べ、それでも足りなければ、私の小袖を売ります」
「暢気だなあ、そんなことでいつまでやってゆけると思うのか」
伊右衛門は、良家に育った千代を余程、暢気者だと思っているようだった。
千代は決して暢気なたちではない。彼女の暢気さは、母の法秀尼から教えられた演技である。
「妻が陽気でなければ、夫は十分な働きは出来ませぬ。夫に叱言を言うときでも、陰気な口から言えば、夫はもう心が萎え、男としての気おいこみを失います。同じ叱言でも陽気な心で言えば、夫の心がかえって鼓舞されるものです。陽気になる秘訣は、明日はきっと良くなる、と思いこんで暮らすことです」
正直なところ、千代も、これだけの大人数の家来を抱えて、やって行けるとは思わない。が、明日はなんとかなろうではないか。

つづく

千代のコーチングで、郎等探しに尾張黒田村、美濃不破郷へ出掛けるのも、自分で考えたことだと、思わせるほどに伊右衛門の考えを上手く引き出す話しかけをしています。
コーチングは、クライアントの中にある考えを表に出させる、働きかけを行います。そして、人は、自分で考えた事は自分で実行しようとするものなのです。

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