度肝を抜いた米軍の支援 日本政府の不作為を問う
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110403/dst11040303510005-n1.htm
米軍精鋭部隊パラシュート降下 がれきの空港を復旧
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110327/amr11032701340000-n1.htm
やはり情報は海外から入ってくる。
産経新聞ワシントン支局長・佐々木類氏のレポートである。
<「日本側はお手上げだった。だからノウハウを持ったわれわれが最初に復旧を手がけることにした」
米空軍のブッカー大尉は24日付米軍準機関紙「星条旗新聞」でこう語った。大尉が所属する嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)の第320特殊戦術飛行中隊は16日、パラシュートで空挺隊員と装甲車ハンビーを宮城県松島町上空付近から空中投下した。>
16日といえば、その頃はスーパー・コンビニでの買いあさりが話題になっていた頃です。こう云う事実をなぜ政府は発表しなかったのか。マスコミはなぜ報道しなかったんだろう。
<目標は仙台空港。津波によって泥とがれきに埋もれて復旧のめどが全く立っていなかった。同中隊が空から降下したのは空港にいち早く陸路で入り、再開作業を始めるためだ。夜間や悪天候をついてひそかに敵の背後にパラシュート降下するのを得意とし、アフガニスタン戦争も経験した精鋭部隊の本領発揮だった。>
<原子力空母ロナルド・レーガンも救援活動のため三陸沖に展開中だ。だが、いかに空母といえども大型輸送機は離着陸できない。物資の大量輸送を可能にする空港の重要性を熟知した上での判断があった。
空港で米軍は自衛隊員らとともにがれきの撤去にとりかかり、3時間で大型輸送機C130が着陸できる長さ1500メートルの滑走路が完成。20日には、C130の3倍の積載量を誇る米空軍の大型輸送機C17が約40トンの人道支援物資を積んでアラスカから到着した。>
米軍が、まさに本気で日本の救済に乗り込んできた様子が良く解ります。
プロの仕事
<何度でも強調したいのは、自衛隊や消防、警察など日本のプロフェッショナルの奮闘とともに、米軍の物心にわたる全面支援の存在だ。
米軍準機関紙「星条旗新聞」によると、空軍第320特殊戦術飛行中隊は、仙台空港復旧のためパラシュート降下という度肝を抜く作戦を敢行した。その後、自衛隊とともに海兵隊が重機を使い、3月20日には「仙台空港の約80%を復旧させた」(コゼニスキー海兵隊大佐)というから、実戦を経験した部隊はやることが違う。>
被災地・被災者の様子を報道することも良いことです。海外からの励ましのお便りやビデオもありがたいです。
が、このように日本を支援して前線で働く米国はじめ海外からの協力者の報道がもっと有ってもいいのではないでしょうか。
<陸軍のグリーンベレーとともに米軍最強ともいわれる沖縄県キャンプ・ハンセン(名護市など)の第31海兵遠征部隊も救援のため被災地にいち早く乗り込んだ。洋上の強襲揚陸艦「エセックス」から宮城県気仙沼港に上陸し、離島の大島に物資を搬入して電気復旧工事まで行っている。>
第31海兵遠征部隊が救援に来ていたとは、政府やマスコミが国民に知れせたくなかったのか。私が知らなかっただけなのか、初めて知りました。
<福島第1原発事故で、米北方軍は、核や生物、化学兵器の専門家9人をウィラード太平洋軍司令官の補佐として日本に特派。放射能被害管理を専門とする米軍155人の追加派遣を決定した。>
<原発に関し日本側は、オバマ大統領が「さらなる原子力の専門家の派遣」に言及したと発表しただけなのに対し、米側は「(大統領が)核融合や原発の被害管理に通じた米軍の特殊専門部隊の派遣を含め、追加支援の用意があると伝えた」と詳細に発表していた。>
<「われわれには監視から除染まですべて行う能力がある」。ウィラード司令官が3月17日の会見でこう語ってから2週間たってようやく米軍の本格支援の受け入れを決めた。防災服を新調したり、危機管理に無知な素人を何人官邸に集めても国民は守れない。
1979年3月28日のスリーマイル島原発事故を経験し、2001年9月11日の米中枢同時テロ以降、テロリストによる原発攻撃対策を練ってきた米国。彼らの協力をためらってきた合理的な理由を日本政府に問いたい。(ささき るい)>
日本政府の無能無策ぶりが明らかに解る海外からの目線ですね。そして日本のマスコミが国民に知らせていない多くのことがあることも解りました。
プロの仕事をもう一つ、
【東日本大震災パノラマ Vol.45】命の限り叫び続けた防災放送の女性職員 南三陸町
大きな揺れの後、津波の来襲と高台への避難をひたすら呼び掛け続けた。
津波に押しつぶされた宮城県南三陸町で防災放送の担当職員だった遠藤未希さん(24)。
いまだ安否が分からない。
「しっかり頑張ったね。でも、何も命を張ってまで…」。いたわりと無念さに揺れる母親。
秋に結婚式を控え、準備を進めていた。
「ないよね」。
避難所に張り出された身元不明者、死亡者の特徴を書いた紙を指で追いながら、母親の美恵子さん(53)がつぶやいた。
震災から2週間以上が経過し、更新される情報も日に日に少なくなっていく。
震災翌日から2日間はがれきの中を歩き続けた。
「見つけられなかった。自分たちの手ではどうしようもなかった」。隣に寄り添う父親の清喜さん(56)はうなだれた。
3階建ての防災対策庁舎は津波にのまれ、赤い鉄筋だけが無残に立ち尽くす。
11日、未希さんは2階で放送していた。
「6メートルの津波が来ます。避難してください」。
冷静で聞き取りやすい呼び掛けが何度も繰り返された。海岸にいた両親にもその声は届いた。
庁舎に残った職員約30人のうち、助かったのは10人。高台の高校に避難した人からも波にさらわれる職員の姿が見えた。
未希さんは勤続4年目の昨年4月、危機管理課に配属された。
介護の仕事に就くことを考えていたが、両親の希望を聞き入れ、町職員を選んだ。
昨年7月に婚姻届を出し、今年9月の披露宴に向け楽しそうに準備していた。
景勝地・松島のホテルを早々と予約。昨年12月、初めて衣装合わせをしてみた。
「3月にはウエディングドレスの新作が出るの。お母さん一緒に見に行こうね」。そう約束していた。
美恵子さんは「放送が途中で切れた」と知人に聞かされた。
最後の方は声が震えていたという。
「放送するのに精いっぱいで、逃げられなかったんだろうね。実際は怖かったと思う。母親の私が守ってあげられなくて。申し訳なくて」
町は人口約1万7千人。約8千人の所在が分からず、被害の全容はまだ把握できていない。
それでも避難所へ逃げた女性(64)は「あの放送でたくさんの人が助かった。町民のために最後まで責任を全うしてくれたのだから」と思いやった。
「『ご苦労さま。ありがとう』という言葉をかけてあげたい」と清喜さんは涙ぐんだ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110403/dst11040303510005-n1.htm
米軍精鋭部隊パラシュート降下 がれきの空港を復旧
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110327/amr11032701340000-n1.htm
やはり情報は海外から入ってくる。
産経新聞ワシントン支局長・佐々木類氏のレポートである。
<「日本側はお手上げだった。だからノウハウを持ったわれわれが最初に復旧を手がけることにした」
米空軍のブッカー大尉は24日付米軍準機関紙「星条旗新聞」でこう語った。大尉が所属する嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)の第320特殊戦術飛行中隊は16日、パラシュートで空挺隊員と装甲車ハンビーを宮城県松島町上空付近から空中投下した。>
16日といえば、その頃はスーパー・コンビニでの買いあさりが話題になっていた頃です。こう云う事実をなぜ政府は発表しなかったのか。マスコミはなぜ報道しなかったんだろう。
<目標は仙台空港。津波によって泥とがれきに埋もれて復旧のめどが全く立っていなかった。同中隊が空から降下したのは空港にいち早く陸路で入り、再開作業を始めるためだ。夜間や悪天候をついてひそかに敵の背後にパラシュート降下するのを得意とし、アフガニスタン戦争も経験した精鋭部隊の本領発揮だった。>
<原子力空母ロナルド・レーガンも救援活動のため三陸沖に展開中だ。だが、いかに空母といえども大型輸送機は離着陸できない。物資の大量輸送を可能にする空港の重要性を熟知した上での判断があった。
空港で米軍は自衛隊員らとともにがれきの撤去にとりかかり、3時間で大型輸送機C130が着陸できる長さ1500メートルの滑走路が完成。20日には、C130の3倍の積載量を誇る米空軍の大型輸送機C17が約40トンの人道支援物資を積んでアラスカから到着した。>
米軍が、まさに本気で日本の救済に乗り込んできた様子が良く解ります。
プロの仕事
<何度でも強調したいのは、自衛隊や消防、警察など日本のプロフェッショナルの奮闘とともに、米軍の物心にわたる全面支援の存在だ。
米軍準機関紙「星条旗新聞」によると、空軍第320特殊戦術飛行中隊は、仙台空港復旧のためパラシュート降下という度肝を抜く作戦を敢行した。その後、自衛隊とともに海兵隊が重機を使い、3月20日には「仙台空港の約80%を復旧させた」(コゼニスキー海兵隊大佐)というから、実戦を経験した部隊はやることが違う。>
被災地・被災者の様子を報道することも良いことです。海外からの励ましのお便りやビデオもありがたいです。
が、このように日本を支援して前線で働く米国はじめ海外からの協力者の報道がもっと有ってもいいのではないでしょうか。
<陸軍のグリーンベレーとともに米軍最強ともいわれる沖縄県キャンプ・ハンセン(名護市など)の第31海兵遠征部隊も救援のため被災地にいち早く乗り込んだ。洋上の強襲揚陸艦「エセックス」から宮城県気仙沼港に上陸し、離島の大島に物資を搬入して電気復旧工事まで行っている。>
第31海兵遠征部隊が救援に来ていたとは、政府やマスコミが国民に知れせたくなかったのか。私が知らなかっただけなのか、初めて知りました。
<福島第1原発事故で、米北方軍は、核や生物、化学兵器の専門家9人をウィラード太平洋軍司令官の補佐として日本に特派。放射能被害管理を専門とする米軍155人の追加派遣を決定した。>
<原発に関し日本側は、オバマ大統領が「さらなる原子力の専門家の派遣」に言及したと発表しただけなのに対し、米側は「(大統領が)核融合や原発の被害管理に通じた米軍の特殊専門部隊の派遣を含め、追加支援の用意があると伝えた」と詳細に発表していた。>
<「われわれには監視から除染まですべて行う能力がある」。ウィラード司令官が3月17日の会見でこう語ってから2週間たってようやく米軍の本格支援の受け入れを決めた。防災服を新調したり、危機管理に無知な素人を何人官邸に集めても国民は守れない。
1979年3月28日のスリーマイル島原発事故を経験し、2001年9月11日の米中枢同時テロ以降、テロリストによる原発攻撃対策を練ってきた米国。彼らの協力をためらってきた合理的な理由を日本政府に問いたい。(ささき るい)>
日本政府の無能無策ぶりが明らかに解る海外からの目線ですね。そして日本のマスコミが国民に知らせていない多くのことがあることも解りました。
プロの仕事をもう一つ、
【東日本大震災パノラマ Vol.45】命の限り叫び続けた防災放送の女性職員 南三陸町
大きな揺れの後、津波の来襲と高台への避難をひたすら呼び掛け続けた。
津波に押しつぶされた宮城県南三陸町で防災放送の担当職員だった遠藤未希さん(24)。
いまだ安否が分からない。
「しっかり頑張ったね。でも、何も命を張ってまで…」。いたわりと無念さに揺れる母親。
秋に結婚式を控え、準備を進めていた。
「ないよね」。
避難所に張り出された身元不明者、死亡者の特徴を書いた紙を指で追いながら、母親の美恵子さん(53)がつぶやいた。
震災から2週間以上が経過し、更新される情報も日に日に少なくなっていく。
震災翌日から2日間はがれきの中を歩き続けた。
「見つけられなかった。自分たちの手ではどうしようもなかった」。隣に寄り添う父親の清喜さん(56)はうなだれた。
3階建ての防災対策庁舎は津波にのまれ、赤い鉄筋だけが無残に立ち尽くす。
11日、未希さんは2階で放送していた。
「6メートルの津波が来ます。避難してください」。
冷静で聞き取りやすい呼び掛けが何度も繰り返された。海岸にいた両親にもその声は届いた。
庁舎に残った職員約30人のうち、助かったのは10人。高台の高校に避難した人からも波にさらわれる職員の姿が見えた。
未希さんは勤続4年目の昨年4月、危機管理課に配属された。
介護の仕事に就くことを考えていたが、両親の希望を聞き入れ、町職員を選んだ。
昨年7月に婚姻届を出し、今年9月の披露宴に向け楽しそうに準備していた。
景勝地・松島のホテルを早々と予約。昨年12月、初めて衣装合わせをしてみた。
「3月にはウエディングドレスの新作が出るの。お母さん一緒に見に行こうね」。そう約束していた。
美恵子さんは「放送が途中で切れた」と知人に聞かされた。
最後の方は声が震えていたという。
「放送するのに精いっぱいで、逃げられなかったんだろうね。実際は怖かったと思う。母親の私が守ってあげられなくて。申し訳なくて」
町は人口約1万7千人。約8千人の所在が分からず、被害の全容はまだ把握できていない。
それでも避難所へ逃げた女性(64)は「あの放送でたくさんの人が助かった。町民のために最後まで責任を全うしてくれたのだから」と思いやった。
「『ご苦労さま。ありがとう』という言葉をかけてあげたい」と清喜さんは涙ぐんだ。