Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

想い出

2011年04月26日 | 身辺雑記
午前中は母の家で、息子と父の遺品の片付けをした。
まあ、早い話がガラクタの処分です。

葬儀の喪主は母です。
打ち合わせは私がやることになったんですが、・・・。
私しゃ大体、葬儀を出す側になったことが無い。
そして、今回は家族葬で行うと決まりました。
何もかも初めての体験を、私の責任で遂行するんですか。
そうですか。
はい解りました。
と、引き受けたのはいいけれど、・・・・。
何をどうやったらいいのやら、
ホント、トホホ状態ですよ。
母の意向と親族の要求に板ばさみ状態。

お通夜の直前に忘れ物を二度もして、家と斎場を行ったり来たり。
何でこんなに、自分でやることの多い、考え事をしなきゃいけない葬儀になっちゃったんでしょうか。
情けないやら、遣る瀬無いやら、・・・。

何とか葬儀社の方と調整を付けてのお通夜でした。

父の想い出ですか。
子供の頃を一言で云うと「ちゃぶ台をひっくり返す人」でしたね。
オヤジは自分の思った通りにならないと、夕食の乗ったちゃぶ台をひっくり返してました。
貧しかった家族のその晩の夕飯はそれでおしまいですよ。
お腹を空かせて、ムッとしたまま、布団にもぐりこんで寝るしかなかったですね。

私が七歳の時、病気で手術のため入院していました。
ある日のことです。付き添いの母親に会いたくって兄と姉がオヤジに内緒で来ちゃったんですよ。
父が、帰宅した兄を箒の柄で太ももがミミズ腫れに成るほど叩いたと後から母に聞かされました。
それ以来、私は私のせいでそんなに酷い目に遭わされたことが申し訳なくって、父と兄が不仲になった責任を感じ続けているんです。

何がどうしたか解りませんが、突然大きい声を出したり、大きな声で歌い出したりの変な人でしたよ。

その変な人の謎が溶けたのは、人の行動を勉強したことからでした。
私自身を振り返ったときに、怒りっぽかったり、単語で会話をしていたり、何か父の行動に似ている部分を発見したんです。
それらを突き詰めて行ったら、自分に分かっていることを相手に伝えるときに丁寧に伝えずに、自分勝手な方法で伝えようとしたり、独りよがりの会話をしていたことに気づいたんです。
気づいたのは50代後半でしたが、自分の行動を変えようと意識を変えました。
それは、家族、特に息子との関係を良くしようと思ったからです。
50だろうと、60だろうと歳にはカンケー無いでしょう。
気づいた時が出発点ですから。

私がどんな人に見えるのかは、周りの人の判断です。
小人が君子になろうと頑張って、中人ぐらいになって居るように見えたらいいな。等と思う今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。

子曰、辞達而已矣。
子曰わく、「辞は達するのみ。」