Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

スポーツ選手も自分の意見を

2005年04月13日 | 私しゃ、こう思う!
「オリンピックに向けて北京市などは積極的な準備作業を進めており、必ず成功すると考えている。中国政府もこれまでと同様、日本を含む外国人や外資系企業などの権益を保護していく」
外交部:北京五輪は必ず成功、外国人の権益守る

こんな事を言っておきながら、日本の選手に日の丸を出すなとはどう云う事だ。

日の丸“規制”観客なし試合(sankei web)
〔北京国際駅伝では、日本は主催者側から「(ユニホームの)日の丸が見えると危険なので、隠してほしい」と要請を受けた。だが、日本側は「筋が違う。万全の警備を施すべきだ」と主張。結局、警察車両が伴走する形で、日の丸をつけたまま出場した。〕

国際大会に於いて自国の国旗を掲げて戦う選手に日の丸を出すな等と言う事自体、オリンピックを開催する資格すら無いのだ。北京国際駅伝

デモ余波 愛ちゃん日の丸外出禁止(デイリースポーツ)

選手が自国のユニホームを着て外出できない等尋常の事ではない。
それにしても日本卓球協会の弱腰はなんだ、陸連を見習ったらどうだ。

確かにスポーツと政治は別物です、しかしながら政治がスポーツに介入して来ることはままあることです。
その時にスポーツ選手としての見識が問われるのです。
単なるスポーツバカにならないように、本人も周りの人々も人としての教育も怠ってはならないでしょう。


中国政府のデモコントロールは完全に失敗した。
当初、内政への不満ガス抜きとして利用しようとした対日デモだが、日常から正しい情報の少ない中国人は単に政府がデモに対して寛容になったと勘違いしたようだ。

対日デモを画策した者達は慌てて沈静化に動いているが、中国人の内政に対する不満は当局の想像を超えていたようだ。
このまま、行くと軍隊の出動も有るかも知れない。天安門事件が思い出される。
軍隊出動となれば、北京五輪などの開催どころではなくなり、国際世論に袋だたきの可能性もある。
軍隊を出動させるときは「一部の不穏分子」と言い「此は国内問題だから干渉するな」となる、そしてこうなったのも「日本に責任がある」となるんでしょうな。

中国浙江省で3万人が暴動(yomiuri no-line)

中国地図浙江省は上海の南

ブログランキングに参加中、気に入ったらクリックお願いします。

イーズ 下荻野店

2005年04月12日 | 情報日記(スーパー他)
厚木市下荻野453-1 電話046-242-6960 営業時間10:00~20:00 2005年4月1日開店
食肉小売業の「株式会社アドベントカンパニー」の店舗
(そうてつローゼン下荻野店撤退跡に出店)
そうてつローゼンの什器をそのまま使用しており、基本的なレイアウトは以前と同じだが、家庭用品を縮小し、主通路を拡げ生鮮の島が新しく出来ており、生鮮メインのMD。グロサリーに手が回らないのか定番は欠品が多発、エンドは特売残品と新たな特売品ではみ出しの悪循環パターン。
レジでは価格が解らず隣のチェッカーに聞いても解らず店内を走り回って居った。
価格訴求型の店舗ではあまり多くは望めないと云う典型でした。

ブログランキングに参加中、気に入ったらクリックお願いします。

中国の拡大戦略

2005年04月12日 | 私しゃ、こう思う!
中国がインドを釣りに行った。エサは国連常任理事国入りの賛成票だ。
換わりに中国ののど元に刺さった針を抜けとインドに迫り、インドは亡命チベット人を捨てた。
中央チベット政府はインド北西部のダラムサラにある。
ダライ・ラマ法王が平和的解決を望んでいるにも拘わらず、中国はこのような手段を用いてインドに圧力を掛けている。
これに良く似た事が以前にも行われました。台湾問題です。
中国は歴史上一度も支配したことのない台湾を自国の領土と言い張り、中国と国交を結びたいなら台湾と断交せよと世界各国に迫ったのです。
そして、今年になって反国家分裂法を成立させました。こうして着々と領土拡大をはかっています。中国はこのように永い年月を掛けて戦略的に領土を拡大しているのです。
インドは国連常任理事国入りの賛成票と引き替えに亡命チベット人や国境問題で苦しい立場に追い込まれなければ良いのですが。

nekkei
〔国境問題解決に向け基本原則で合意・中印首相会談
 インド訪問中の温家宝・中国首相は11日、ニューデリーでシン印首相らと会談し、両国間の国境問題の解決に向けた「政治的指針原則」に合意した。両首相は平和と繁栄を目指し一致して脅威に対処する戦略的パートナーシップの構築や、科学技術、エネルギー、軍事など幅広い分野での協力を明記した共同声明を発表した。アジアの大国である中国とインドが新たな関係強化に向けて動き出した。
 両国が合意した指針原則は「双方の安全保障を尊重し、平和的・友好的に国境問題の解決を図る」と明記。3段階で国境画定を目指す過程の第1段階となる。同原則は10日に会談したインドのナラヤナン国家安全保障担当首相顧問と戴秉国・中国外務次官が基本合意していた。両国政府はまた、二国間貿易の障害を取り除くための共同作業や財政・金融当局者による対話の開始、民間航空路の増設などに関する11の覚書に調印した。中国はインドの国連安保理常任理事国入りへの支持を表明。インド政府は中国側の要請を受け入れ、亡命チベット人らによるインド国内での政治活動を認めないことを改めて確認した。〕

中国・浙江省で農民が暴動(nikkei)

〔【北京=飯野克彦】中国・浙江省の公安当局者によると、同省中部にある東陽市の農村地帯で10日、農地の不法収用と環境汚染に抗議する農民による暴動が発生し、1人が死亡した。詳細は明らかにされていないが、1万人を超える農民のデモ隊が警官隊と衝突し、双方に多数の負傷者が出たもよう。
 当局者は「暴動があったのは10日」と述べ、現在は収まっていることを示唆した。「何が起きたのかは調査中」と述べ、詳細の説明は避けた。中国の公的メディアは報じていない。
 一部のインターネット・サイトによると、当局は暴動鎮圧のため3000人の警官隊と48台の大型バス、70台以上の小型バスを投入した。そのうち相当数の車両は破壊された。
 問題になったのは数年前の全国的なブームに乗って造られた工業団地。中央政府は昨年、不法に農地を収用して造成された工業団地の撤去を命じ、問題の団地も撤去対象になったが、実際には今も入居した工場が操業を続けている。〕

中国人の本当の不満は国内に有ることの照明でしょう。情報管理仕切れなくなったとき、天安門の二の舞にならなければ良いのですが。

ブログランキングに参加中、気に入ったらクリックお願いします。

中国、反日デモのコントロールミス

2005年04月11日 | 私しゃ、こう思う!
デモは全て中国政府のコントロールの下に行われている。
中国の政策では民衆には正しい情報ではなく、政府に都合の良い情報しか与えない。
間違って民衆が正しい情報を手にして立ち上がった時には徹底的に此を弾圧する(天安門事件)
チベットのダライ・ラマ法王の来日を日本に抗議するも、国内では報道せず領土・教科書・靖国問題で国民を煽っている。

〔中国政府は大使館などへの破壊行為について「責任は中国側にない」と謝罪も弁償する考えがないことを明言している。こうした中国側の姿勢はデモ隊のスローガンにもなったように、「愛国(に関する行動は)は無罪」だとする認識を普遍化させており、「反日の民意」を利用して対日圧力にしたい思惑がみられる。〕(yomouri)

中国の報道規制は、反日抗議活動の拡大が統制の効かない事態に発展し、政府批判などに転じることを警戒して行われている。
〔各地で起きた反日活動についてはこれまで、北京のデモについて国営新華社通信が9日の英語版で、「1万人以上が参加」と伝えただけだ。これには、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りに事実上、反対する中国として、日本の歴史問題などに対する厳しい国民世論の存在を国際社会にアピールしたい目的があったものとみられる。〕(yomouri)

日本人記者団や海外のメディアに対しは、北京の日本大使館の被害状況取材に「安全確保」を理由に自由な取材を認めず、大使館側の許可を得て、施設に近付こうとする記者団を排除した。 2008年北京五輪を控える中国が、投石行為などで荒れ果てた大使館の惨状を海外に広く報道されることを恐れたのは明らかだ。

反日デモで全くの嘘をねつ造して煽っている者も居るようです。
 
〔9日のデモで学生たちが配っていたビラには「ホンダ、トヨタ、日産……は日本の軍事産業の支柱企業だ」とあった。
 内容は日本企業と日本の軍国主義とを結びつけるものばかりだ。ビラには「もし100元の日本製品を買えば10元は日本が国際社会で反中を広げるための政治資金に回り、9元は“大日本皇軍”の武器製造に回る」との解説まで書かれていた。〕(nikkei net)
全く持ってお笑いぐさの内容だが、こんなものでも信じてしまう位の情報しか与えられていないと云うことですな。

10日の米紙ワシントン・ポスト(電子版)は中国政府がデモを容認と報じている

〔9日に北京で起きた反日デモについて「中国政府がデモを容認するのはまれだが(今回は)例外だったようだ」と指摘、中国政府がデモを容認していたと報じた。
 同紙によると、デモの主催者だという中国人民大の大学院生は、デモの2日前に警察に許可を求めると、警察側からは「その場で状況を見る」とだけ言われ、暗黙の了解と受け取ったという。 この大学院生は「政府が協力的でうれしい。警察は交通整理で協力してくれた」と話した。(共同)〕

11日付の英紙タイムズは社説で中国政府の暗黙の奨励

〔中国の過激な反日行動について「明らかに中国政府の暗黙の奨励に基づいて行われている」と指摘した。 その上で「日本の世論はもはや中国に対して、それほど卑屈ではない」と強調。反日行動の過激化を許せば日中の経済関係が脅かされるなどとして「最終的には中国が敗者になるという
ことを中国政府の指導者は理解しなければならない」と主張した。
 一方で小泉純一郎首相に対しては、教科書検定をめぐる日中両国の緊張関係を終わらせることや、靖国神社参拝以外による戦没者の追悼方法を見いだすことで、「真の改革者」であることを証明するよう求めた。(共同)〕

奥田碩・経団連会長は

「日本の大企業はこういうリスクは当然、ありうる問題だということを覚悟して進出している。よほどのことがない限り撤退などはない」と語ったが、果たして全ての企業にその覚悟があるのだろうか。確かに大企業であれば国内に確固たる基盤があり中国への投資が無に喫しても想定の範囲かも知れないが。
日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、中国に進出している日本企業は02年末で約1万6000社。現在では1万8000~2万社に増加しているとみられる。
この2万社の全てが大企業とも思えないのだが、中国進出にそれなりの覚悟があっての事なのでしょうか。

〔中国での事業拡大が最優先課題の自動車メーカーにとっては、4月下旬に中国最大の自動車ショーが上海で開催され、新車の売り込みや情報交換が活発化する時期だけに、今回の反日デモの影響を心配する。ホンダは昨年末に欧州向け輸出専用工場を増設、中国での自動車生産能力を04年の年間27万台から06年までに同53万台に増やす計画だが、「微妙な時期だけに目立たないようにする。出張を減らすことも検討する」(福井威夫社長)と慎重な構えだ。
 「新しい歴史教科書をつくる会」に協力している、と中国メディアに名指しされた三菱重工業は今年2月、中国での原発新設の入札に応札したばかり。中国政府は20年までに100万キロワット級換算で30基程度の原発を新設する方針で、同社にとって中国は原子力事業拡大のための最重要拠点。「原発は国家的事業だけに、入札も政治的な思惑に左右されやすい。早く落ち着いてほしい」(幹部)と気をもんでいる。〕(nikkei net)
奥田碩・経団連会長の発言は、日本経済界の中国市場進出を睨んでの発言だが、今言うべきは中国側に警告を発することだろう。

〔中国渡航者に注意喚起のスポット情報検討
 中国での反日デモを受けて、外務省は11日、中国への渡航者に対して特定の地域の治安状況について注意を喚起するスポット情報の発出を検討している。〕(yomouri)

と云うことで、中国ツアーのキャンセルが出始めている。
〔日本旅行では、5月20日と6月6日にそれぞれ関西空港を出発する上海行き団体ツアー(計29人)を中止。〕(yomouri)

デモを起こして抗議したり異論を展開するのは全くの自由だ(尤も共産中国でデモが有ること自体不可解だが)しかし、建物を壊したり、人に危害を加える事は許されない。
此の被害・損害に対して謝罪・弁償しろと云う事が理解出来ない国なのですな。

〔10日の町村外相と中国の王毅駐日大使との会談では、王大使が「中国本国からの訓令」を読み上げたが、謝罪の文言は含まれていなかった。さらに、大使は「こうした問題の背景には、日本側が起こした問題もある」と述べ、反日デモの背景には、日本側の歴史認識などでの対応があることを示唆した。
 これに対し、町村外相は「破壊活動を正当化するような発言が中国側から出ていることは、認められない」と主張し、外相と大使の間で激しいやりとりが交わされた。〕(yomouri)

言い掛かりに終始する中国の王毅駐日大使ではお話しになりません。

〔小泉首相が遺憾表明 「安全確保は中国に責任」
 小泉純一郎首相は11日夕、中国の反日デモで北京の日本大使館などに被害が出た問題について「誠に遺憾だ。中国側は再発防止に全力を尽くしていただきたい」と述べ、中国政府に再発防止を強く求めた。また首相は「中国で活躍している日本人の安全は中国に責任があり、自覚していただきたい」と述べ、中国政府の責任を指摘した。首相官邸で記者団に答えた。
 これに先立ち首相は、町村信孝外相と、首相官邸で会談。町村氏は予定通り17日から訪中し李肇星外相と会談する方針を伝えた。町村氏は中国の反日デモで北京の日本大使館などに被害が出た問題で、中国側にあらためて再発防止と邦人保護の徹底を強く求める考えだ。〕(共同)

こうして見てくると、一連のデモは中国政府の仕掛けで、情報をコントロールし国民を煽り騒ぎを大きくして、日本との外交交渉にプレッシャーを掛けようとしてた様ですね。
日本が国連の常任理事国入りすれば、中国のアジアでの発言権は総体的に弱まる事になり、周囲の国々との国境問題や、チベット・新疆ウイグル自治区問題も抱えており、これら問題に介入されるのを恐れて、有りもしない嘘を並べ立て無知な民衆を煽り対外的宣伝に使いたかった。しかし、目論見は崩れて暴徒化した群衆を制御出来なくなり、その責任を頬被りしたまま国内の情報操作を行い、全ては日本の責任だと開き直っていると、まあ、こなあふうに思えるのです。

ブログランキングに参加中、気に入ったらクリックお願いします。

ダライ・ラマ法王、来日でチベットを考えた

2005年04月10日 | 私しゃ、こう思う!
日本は近隣諸国の為にも正しい主張をしなければならない。
凄く大雑把だけど、纏めてみました。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHPによると

元々仏教国家であったチベットは広大な国土を持つバチカンの様な存在だった。

〔モンゴル王チンギス・ハーンとその子孫は、ヨーロッパとアジアの広大な土地を征服し、太平洋からヨーロッパに至る、かつてない一大帝国を築き上げた。1207年、チベットに北接したタングート部はモンゴル軍の襲来によって崩壊し、続いて1271年、モンゴル帝国は帝国の東半分を治めるべく元朝の成立を宣言した。さらに1279年には南宋が滅び、元は中国統一を完成させた。中国は今日、元を正統王朝に位置づけることにより、モンゴルの征服地のうち少なくともその東半分を中国の領土だと主張している。〕

中国がチベットを自国領だと主張する根拠としているものはこの、「元を正統王朝に位置づけることにより、モンゴルの征服地のうち少なくともその東半分を中国の領土」と云うところにある。

〔1240年、チンギス・ハーンの孫にあたるゴダン・ハーンは、チベットに遠征隊を派遣し、チベットの指導的高僧サキャ・パンディタ・クンガ・ギェルツェン(1182~1251)をみずからの幕舎に招いた。チベット・モンゴル間の関係が、これによって開かれることになった。同時にこれが、「寺と壇家の関係」(チュ・ユン)の始まりとなる。〕

チベットは仏教国家なので「寺と壇家の関係」(チュ・ユン)はあったがモンゴル帝国に納税したこともないし、第一モンゴル帝国の継承者は現モンゴル国である。

〔私達が「チベット」という場合、すなわち、アムド、カム、そしてウ・ツァンの3つの州を含む伝統的チベットを意味します。中国はチベット侵略後、チベットを3つの行政区分に分轄してしまいました。
アムドの大部分は青海省、さらにカムとアムドの一部が雲南省、四川省、そして甘粛省内に合併され、ウ・ツァンと西カムの一部が「チベット自治区」として宣言されました。中国当局のチベットとはチベット自治区の地域のみを指します。この状況説明書では、「チベット」という用語はチベットの人々から認識されてきた全チベットを指します。〕

中国地図 チベットの概要 これを見るといかにチベットが広大な国かが解る。

中国国民党と共産党の内戦で共産党が勝利すると、共産中国はチベットに対し侵略を開始する。

〔以下は1949年の己丑年のチベット暦12月15日、国民議会(ツォンドゥ)によって代表団のために発行された信任状の摘要である。
 雪の国チベットは、観音菩薩の化身によって代々統治されてきた平和を愛し、仏法への信仰篤き独立国である。中国の内戦中、わが国の平和は敗残兵の侵入に脅かされ、かき乱されてきた。チベットの外務局は己丑年9月12日、毛沢東主席に文書を送り、中国兵がチベット国境に侵入しないようにその権力を行使してほしいと要請した。しかるに中国はこの要請に対し何ら返答せず、かわりに、西寧と北京のラジオ放送がチベットを中国の1部と宣言し、チベットの解放を人々に対して扇動した。チベット問題に関する一切の全権を委任されたこの代表団は、以下の項目について交渉を行うものである。

1 チベット外務局より毛沢東主席宛ての、返答を得られなかった文書に関して
2 西寧と北京放送のおそるべき声明について
3 チベット領土保全の保障をとりつけること
4 チベット政府及び人民は、ダライ・ラマ継承制度に関していかなる介入も受けるつもりはなく、チベットの独立維持の意志を中国政府に通告する 〕

中国はチベットの解放などと云う言い掛かりを付けてチベットに侵攻した。

〔「我々チベット人にしてみれば、“チベットの解放”などという語句は精神的意味合いから言っても道徳的意味合いからいっても噴飯物もいいところである。自由からなる国家が侵略され、“解放”という口実のもとに占領されたのだ。いったい誰からの、何からの解放なのか?
 1950年に中国に侵略されるまで、チベットは温情ある政府と心満ちた人民からなる幸せの国であったのだ。」〕

〔1950年10月7日、王其梅(おうきばい)政治委員[政治委員は、人民解放軍のポストのひとつ]に率いられた4万の軍隊が、東チベットの州都チャムド[昌都]に八方から攻撃を加えた。国軍と義勇兵からなるわずか8,000のチベット軍は敗退し、チャムドは2日で陥落した。州知事アポ・アワン・ジクメーは捕らえられ、この戦いで4,000人以上のチベット人闘士が落命した。

チベット国民議会は、同年10月に緊急会議を召集し、国家元首の地位を、当時わずか16歳だったダライ・ラマが引き継ぐよう要請した。また身の安全のため、ダライ・ラマはラサを離れてインド国境に近いドモ[中国名=亞東(ヤートン)]に行くことが求められた。チベット外務省は、このとき次のような声明を発表している。〕

〔チベットは、全権を引き継いだダライ・ラマの下に一丸となって団結している。(中略)私たちは、眼前の不当な侵略を平和的に仲裁してくれるよう、全世界に向けてアピールを行う。〕

こうして、ダライ・ラマ14世の永い国外での亡命生活が始まるのです。
こうして、チベットを手に入れた中国はその後チベットに中国人(漢族)を入植させて居り現在チベット自治区でも人口の半数以上は漢族とのこと。(多民族国家の中国では、人口の94%が漢族、他の55民族が少数民、少数民族は人口の僅か6%に過ぎないが、彼らの領域は中国全土の実に64%を占めている)

〔1949年の中国によるチベット侵略以来、チベットの不法占領、チベット人民に対する非人間的扱い、チベットの文化的遺産の組織的破壊に対して何百回とないデモや抗議行動が行われてきた。しかし、1987年9月27日の抗議行動は、当時大勢の外国人旅行者がラサに居合わせたお陰で、これまでにない国際的注目を浴びた。だがいつもの如く、中国当局者はその抗議行動を情け容赦無く弾圧しただけではなく、その事件全体を“外部からそそのかされた一握りの分裂主義者”によるものであると非難した。〕

ダライ・ラマ14世は世界へ平和を呼びかけて居るが未だに自らの故郷に帰ることが出来ない。

中国の歴史教科書にはチベット問題は何と書かれているんでしょうか、私の予想では史実を歪曲して得意のご都合主義で書かれていると思うんですが。

1989年12月10日ダライ・ラマ14世のノーベル平和賞受賞に於けるスピーチ
〔チベットと中国の関係が、いかなるものでも、平等、尊敬、信頼、互恵の原則に立つものでなければなりません。ということは、チベットと中国の賢明なる指導者たちが、西暦823年の昔に締結した条約の原則に立ち戻ることにもなります。その条件は、ラサにあるチベットで最も神聖な寺院であるチョカン寺院の正面に、今なお立っている石柱(唐藩会盟碑)に刻まれております。その中には、「チベット人はチベットの大地で幸福に暮すように。中国人は中国の大地で幸福に暮すように…」と記されているのです。
私たちの全て、抑圧者も友人も含め、全員のために、私は祈ります。
人間に対する理解と愛を通じて、より善き世界の建設に成功しますように。
そうすることにより、生きとし生けるものの苦痛を、
和らげることができますように・・・〕

さて今回はどんなお話しをなさるのでしょうか。

日本政府は中国に抗議出来ません、決してガンジーやダライ・ラマ法王の真似をしてる訳じゃ無いんです。腰抜けなんです、私が代わって抗議します。
ダライ・ラマ法王がなんと言おうと私しゃ言います。
中国はチベットをチベット人に帰せ、中国人は一刻も早くチベットから出て行け。

チベットの人権問題

亡命チベット人

チベットの核

環境問題

ブログランキングに参加中、気に入ったらクリックお願いします。

中越センター閉鎖

2005年04月10日 | ボランティア日記
新潟県災害救援ボランティア本部中越センターから手紙が届いていました。

活動の役割を終え3月31日でセンターを閉鎖したとのことだった。
たった、六日間の滞在でしたが、貴重な経験をさせて頂きました。
仲間の皆さん、スタッフの皆さん本当にご苦労さまでした。

被災地の復興と皆様のご健勝をお祈り致します。



大根が美味しかったですか、そうですか、それは良かった。

組長日記 2

2005年04月09日 | 身辺雑記
3日に出した回覧板が戻って来た。
って事は一周りするのに一週間はみておかなければいかんと云う事だな。

夕方、帰宅したら家の近くのゴミ集積所にゴミ袋が2袋出ていた。
ゴミ出しは、日の出から朝8:30までと決まってるんだぞ、こんな時間にここにゴミ袋が有るって事は収集車が来た後に出したに違いない。
全く持ってモラルの無い輩が近所に生息して居ると云う事だな。

私なんぞは、自慢じゃないが最近ではゴミを朝8:30前に出しこと無いぞ(ホントに自慢にならない)
大体、10時とか11時頃に今日はどの種類の回収日かな等と、分別収集のカレンダーを確認してからゴソゴソとゴミを持ち出しますな。
この近所の回収時間が遅いので、まあ、回収車が来るまでにゴミを出せば良い訳だな。
先日などはプラスチックゴミの日で、少々油断して居った。
ゴミ袋を三つも持って、11時頃に集積所に行ってみると、ななななんと集積所はキレイに空っぽであったな。
まあ、こんな事もあるさと私しゃゴミ袋を抱えて家路についた、ってそんなには遠くない。

と云う事で、ゴミ出しに間に合わなかった組員はゴミを家庭に持ち帰れ、良いな。
それが組織の掟ってもんだ。
今後そのまま放置して置いて、世間様にご迷惑をお掛けしやがったら、この組長が黙っちゃいね~ぞ。

組長に賛成の方も反対の方もポッチっと

ソレイユの丘(横須賀)

2005年04月09日 | 情報日記(スーパー他)
横須賀の長井に「南仏・プロヴァンス地方の香り漂う緑の丘にソレイユの丘が誕生します。」って事で出掛けてみました。

長井海の手公園ソレイユの丘
4月9日プレオープン
4月29日グランドオープン
入園は無料
駐車場(乗用車)1日1000円

神奈川県横須賀市長井の旧米軍住宅跡地の相模湾を一望する高台(21ヘクタール)にあり、南仏の田舎を思わせる建物と広々とした公園です。
三浦半島の荒崎海岸はこの直ぐ近く、油壺や城ヶ島は数キロの距離にある。

体験やふれあいをテーマにして居り、様々な体験ができます。詳しくはこちら体験プログラム
園内を走るチューチュートレイン(300円)
動物ふれあい体験、引き馬(700円)
食の体験、パン&バター作り等(1000円)
クラフト体験、キャンドル作り(300円)
収穫体験、大根・トマト等(500円)
その他、露天風呂、レストラン、地元の野菜を売る売店等もある。

ジャブジャブ池では子供達がびしょ濡れになっても良いように着替えを持参した方がよさそうです。
そして、子供達の為に着替えコーナーやシャワーも完備して有りました。
レストランや売店も有りますが、お弁当の持ち込みは出来ますから、広々とした草原でお弁当を食べる事も出来ます。
太陽の下でノンビリと自然を満喫するには良い所ですよ。

ブログランキングに参加中、気に入ったらクリックお願いします。