自分の罪のためにイエス・キリストが十字架にかかって死んでくださり、3日目に復活してくださったことを信じ、そのイエスを主と告白するだけで私たちは救われます。
しかし、ただ救われただけではなくキリストが頭(かしら)である体つまり教会につながらなければなりません。私たちは、教会の各器官として移植されたわけです。
実際の臓器移植は、その臓器が正しく機能するためには、時間がかかるし、拒絶反応がでる場合もあります。キリストの体である教会の一器官として私たちも他の器官と一致して行くのに時間がかかります。
いつまでも、前の体のことばかり考えていたら、一致して働くことはできません。
それに、いつまでも正しく機能しないと、取り外され別の臓器移植がなされる場合もあるわけです。
私達は、頭なるキリストの指示に従って、正しい働きができるようになりたいですね。
ローマ 12:4~5 「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」
「使徒の働き」の文字や、絵などを直していたら膨大な訂正になり一体いつ終わるか見当がつかなくなりました。
何しろ300ページ以上あるのでかなり大変なので、長い目でやるしかないなーと感じています。
自分で描いたのに、内容はすっかり忘れていました。
何しろ、聖書のお話だけではなく、その時代のいろんな関係事項を入れているのでかなりいろいろ描いてあります。
もともとは、ある雑誌での連載でしたが、途中でまとめて描くと言うので連載が中断され、全部描き上げたのです。
しかし、数年後またまたそれを描きたして、み声新聞で連載をしました。あれから10年近くかかっているので、開かれた部分もあるため多少追加ページが出てきました。
それにしても、「がんばって描いたんだなー。」と思いますが、神様の助けがないと本当に無理でした。
改めて、これからの時代に必要な作品だと感じました。
昨日は徹夜になってしまったので、4時過ぎに少しお祈りをして寝ようと思って布団に入っていると、突然電話がかかってきました。
夜中の電話は、田舎で何かあのかと思いドキッとしました。
すると元気な友達の声がしたのです。アメリカのマーリンチームに行っている友人から、まんが「牢獄から賛美へ」の質問をマーリンさんに、いくつか頼んだのでその件でした。
元気な声だったので、恵まれている事を感じました。今週はがんばって「使徒の働き」の手直しをしていますが、文字の拡大訂正までしているので、膨大な仕事になり、ただただ感謝するのみです。
しかし、夕べ祈っている時、どうすれば簡単にできるかというアイデアが与えられてので、今日は早速そのように対応しています。神様から来る知恵は、私の思いをはるかに超えてすごいですね。
ヤコブ 1:5「 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」
埼玉は、かなり激しい雨が降っています。
そのためか、数年前に捻挫した左手が痛くキーボードを打つのが難しいです。それでも今日は、朝から数年前に連載していた「使徒の働き」を手直しをしていますが、ほとんどが文字の拡大です。
セリフのスペースに比べて文字が小さく感謝しながら直しているわけです。「パウロ」と言う映画を見ましたが、いやしや奇跡に関してほとん出てこないし、あまりにも聖書と違うので、何とかこのまんがを単行本にしたいと祈っています。
ペテロやパウロ達の、きびしい迫害の中での働きに触れるたびに、本当に感動します。
絶対必要なまんがなので、皆さんも応援してくださいね。
おととい、「27dresses」と言う映画も見ました。
これは、ブライダルメイドとして、27回も友達の結婚式に出た女性が、ひょんなことで知り合った男性と結婚するというラブコメディーです。
あんまり暗いものやオカルトや戦争物は観たくはないので、気楽に見ることができました。本来好きな映画はシュールなものが多いです。
ところで、「300」を見て思いましたが、すごく劇画的だと言うことです。
劇画は、もともと映画の要素をまんがに取り入れたものですが、映画よりデフォルメが激しく「こんな人間いないよー」と思わず突っ込みを入れたくなるような人物がたくさん出てきます。
フェデリコ・フェリーニ監督は、変わった体系の人間を良く使いましたが、それはあくまでも実在の人間で、私はそこがすきでした。しかし、映画もCGと特種メイクの発展でどんな人物も作ることができるようになったので、あり得ないと言う人物が出てきて、より劇画チックになってきたなーと感じました。
「300」では、映像美という点でも優れた作品だと感じました。