今のアパートに住んで、15年以上になります。
来月更新なので、またまた2年間お世話になるつもりです。
静かで、住みごごちはいいので、生涯ここにいようかなどと考えていますが、物がどんどん増えているので片付ずかなくて困っています。
いらないのもを捨てようと思いつつ、捨てられずにいます。
資料がどんどん増えていくのと、着られなくなった洋服がたくさんあります。
片付けの名人の方が、「その物にときめきを感じなかったら捨てたほうがいい。」と言っておられましたが、ときめきは感じなくても愛着がある物が多いので困っています。
お掃除の賜物の方に、手伝ってほしいです。
関東地方は、風が出てきました。
そのため、教会から見る夕日が綺麗です。
最近は、宣教師や明治時代の政治家などの資料を読んでいますが、TVドラマでも、明治の器を掘り起こしています。
あまり有名でない方にも、光を当てているので、衣装などに興味があります。
暮やお正月に、参考になるドラマを見ることができたらいいなーと思っていますが、締め切りを意識しつつ・・・ですね。
フルベッキが大学南(なん)校にいた時、高橋是清はそこに居候うをしていましたが、生活が堕落していたこともあり、フルベッキの家を出ます。
この時、フルベッキは聖書を渡して「1日に1回は読むようにと。」と言いました。
生涯、高橋是清は、その聖書を手元に置いていたのです。
キリスト教の伝道が公にできない時、宣教師たちは、英語を教えたり、政府のお雇い外国人としてたくさん入国してきました。
当時、女性は牧師にはなれなかったので、女学校を作るためにやってきました。
キダーは、ヘボン夫人から受け継いだ生徒たちを集めてフェリス女学校を作りました。そして、39歳の時、長老派の神学校を出たばかりの10歳年下のミラーと結婚しました。
キダーの働きが、軌道に乗っていたので、ミラーの方が、長老派をやめて、アメリカ・オランダ改革派に移動しました。
男性が女性の方に移動すると言うのは、非常に珍しいことです。
この時、生徒たちにキリスト教式の結婚式を見せたいと言うので、全員招待しました。
これが、日本人がキリスト教式の結婚式を見た最初だそうです。
1873年、日本が陰暦から太陽暦に変わって間もない頃のお話です。
高橋是清は、生まれてすぐに、足軽の家に里子に出されました。
数年後、お金持ちのお菓子屋さんが養子に欲しいといってきたので、本当の親はそちらに出そうとしました。
ところが、里親はかわいくて手放したくないというので、そのまま里子に出した家の子になりました。
おばあさんにすごくかわいがられましたが、ある時、お殿様の奥方の目に留まりここでも、かわいがられます。
徳川様が来られたとき、行列の前の方にヨチヨチ歩いていって、馬に踏まれましたが、かすり傷一つなかったのです。
そこで、みんなから「しあわせ者」だと言われ続け、本人もその頃から、自分はしあわせ者だとずっと思いながら生きてきた人です。ヘボンやブラウンに英語を習い、放蕩三昧でしたがアメリカに行きました。
ところが、だまされて3年間の奴隷に売られていたのです。
そこでもかわいがられいましたが、日本に帰って来てからもフルベッキの家に住み込んでやりたい放題をしました。
そのために、フルベッキの家を出ることになり、お別れに聖書をもらいました。
放蕩三昧の方でしたが、色んな方々に愛されました。
総理大臣にもなりましたが、2.26事件の時に暗殺されてしまいます。
その時、フルベッキにもらった聖書が机の上に置いてありました。
暗殺されましたが、ご本人がいっも言っていらしたように「しあわせ者」だったと思います。
幕末時代、日本に来た宣教師の多くは、ギュツラフ訳の聖書を読んできました。
これは、漂流した、漁師たちの助けによって翻訳されたものですが、本当に不完全な訳です。ヨアンネスノ タヨリ ヨロコビ
ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。コノカシコイモノワゴクラク。
分かりますか?ヨハネの福音書
初めに、ことばがあった。 ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。
まず、日本に真の唯一の神という概念がありませんでした。
仏教の天国は、極楽という言いかたをしますが、真の神様がおられるところなので、真の神様のことを極楽と訳しています。
それから、ヨハネはイエス・キリストのことを「ことば」と言っていますが、この地上のすべてが、神のことばによってできたので、このように表現しました。
そこで、ギュツラフは、ことばを賢いものと訳したのですが、ことばをイエス・キリストに置き換えるとこうなります。ヨハネの良い知らせ
初めにイエス・キリストはいた。 イエス・キリストは神とともにいた。 イエス・キリストは神であった。
ヨハネの福音書は、一番言葉の種類が少なく、日本人に理解されやすい書です。
ですから、ギュツラフは、このヨハネの福音書を翻訳したのです。
福音と言うのは、「良きおとずれ・良い知らせ・Good News」と言う意味です。
何が、「良い知らせ」かと言うと、真の神様のひとり子であるイエス・キリストが、私たちの罪の身代わりになって十字架にかかって死んでくださいました。
しかし、三日目に復活して、死を打ち破ってくださったのです。
だから、自分は罪人だと認め、その罪のために十字架にかかって死んでくださったと信じ、イエスを主(しゅ)だと告白するだけで、救われて、肉体は死んでも霊が天国に行くことができますよ。
と言うのが、良き知らせなのです。