記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

最高の天気と熱気!集団山見せ。

2009年07月13日 23時54分58秒 | 博多部
 梅雨が明けたような青空の下、博多祇園山笠は会期中唯一の福岡部入り「集団
山見せ」が行われた。福岡市は元々双子都市、黒田五十二万石・城下町福岡と、
太閤町割の時代からの自治都市・商都博多が今から130年前の明治22年、協議の
末に今の福岡市となったもの。昭和47年に福岡市が政令都市になり「博多区」が
生まれるまで、実は地名からは「博多」という文字が消滅していたのである。

 しかし、ご承知の通り「博多」は全国ブランドである。昭和50年、新幹線が博
多まで延伸した事でさらに有名になり、「辛子明太子」をはじめ数多くの博多土
産が生まれた。市名選挙に敗れた博多っ子の意地は、市制施行と同じ明治22年に
開通した九州鉄道の駅名決めで勝利。「博多にあるっちゃけん、鉄道の駅は博多
駅たい!」という強い支持が、今の博多ブランドの基である。

 実際、どんなに頑張って「福岡」と商品名に付けても、ヒットしないのは地元
では有名。逆に博多と何の関係もないのに「博多」とついてヒットした商品は数
知れず(笑)。3文字全て母音(HAKATA)なので外国人にも発音しやすく、古
い観光絵葉書にも「福岡」とは書かれていない。日本最古の都市・博多の面目躍
進である。

 その博多っ子、今日も勢いよく明治通り(地下鉄上の目抜き通り)を駆け抜け
た。今日の「集団山見せ」には、ソフトバンクホークスの王貞治会長が一番山笠
・東流の舁き山に台上がり。例年にも増して多くの観衆が、コース上に我れ先に
と陣取って、盛り上がりは5月の博多どんたく以上!

 写真撮影をするカメラマンは自薦他薦問わず多いが、目につくのは撮影のマナ
ーを守らない一眼レフ持参の趣味カメラマン。歩道から、山笠が通過する車道へ
悠々とはみ出し、当たり前のように観衆の目前に立って撮影する。撮影は歩道か
らが基本であり、警察や山笠関係者も正しているのにである。

 新聞社など腕章をしている人間は立場上ルール厳守。かくいう私もカレンダー
委員の腕章を付けているから何をしても良いという訳ではない。いかに神社公認
・山笠振興会公認という立場であっても、皆で決めたルールは守る。私が車道に
降りたのは、各流が通過した後であった。当たり前のことであるが、案外「自分
は特別」と勝手に解釈しがち、自身を戒めるよい機会ともなった。

 明治通りでの撮影を終え、急いで冷泉公民館へ戻る。この通りは、集団山見せ
を終えた山が戻ってくるコース。西、中洲、恵比寿、土居、大黒の各流れを撮影
し、最後に西流れの山小屋へ向って名士台上がりの記念撮影もお手伝い。

 そのまま自宅へ一度戻り、シャワーを浴びて夜は「博多手一本の会」例会へ。
人生の先輩方との月一度の会話は楽しい。役職・年齢を忘れての日本酒と美味し
い料理を囲んでの大好きな会である。この日は、元JTBのNさんの昭和30~40年
代の旅行添乗員時代の苦労話で盛り上がる。私が以前から伺いたかった内容を、
たっぷりと聴かせていただいた。Nさんの話術も巧みで、出てくるエピソードは
どれも興味深い。近々、個人的に逸話の聴き取りをさせてもらう約束をした。

今日の写真は、集団山見せ「一番山・東流」。王さんは左から一人目。

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