2023(令和5)年10月16日(月)16時台のFBSめんたいワイド「ひと駅ノスタルジー」は、同年10月末で閉園するアサヒビール園と博多工場歴史編(工場は25年末移転予定)のオンエア日です♫今回も企画&資料・情報提供で全面協力しました。
1902(明治35)年まで遡る福岡博多・中洲とアサヒビールの縁、今回の企画は個人的に10年以上温めてきたもの。関連資料がひと通り収集できて、博多区竹下にあるビール園の閉園が決まったタイミングでロケに繋がりました。
アサヒビール博多工場&ビール園には私自身もたくさんの思い出があります。以下、平成初期の地元雑誌などの広告もアサヒビール博多工場が前面に出たもので印象的でした。
1980年代後半からの「アサヒスーパードライ」ブームに加え、1990年代まで社員旅行など団体旅行での工場見学&ランチ飲食は人気コースだったこともあり、都市部に隣接するビール園は1,000席に拡張される大盛況だったそうです。
今回「ひと駅ノスタルジー」ロケでは、博多工場の見学コース(すでに工場見学などは終了)やかつてのビール試飲会場(観音山ゲストハウス)も巡り、1921(大正10)年に博多工場が操業した当時の遺構などにも迫りました。
博多のアサヒビール園は地元色を前面に出したもの。博多工場が鳥栖市へ移転することが決まっても、ビール園は残るんではないかと甘い期待をしていましたが、先に無くなるとは…。
今回、アサヒビールと福岡・博多の歴史を時系列で年表にまとめ、1902(明治35)年に中洲(東中洲)に開園した最初のビール園から時代を追って、ほぼ全てのアサヒビヤホール&ビール園の写真も収集し揃えました。番組ではその一端も紹介。日活ホテル、城山ホテルなど懐かしい中洲の施設にもあったビヤホール&ビール園。近々、自分のアーカイブスサイトでも特集ページを公開する予定です。
ビール園の閉園が決まり、ロケした日も夕刻からは団体予約でいっぱい状態でした。福岡の地域・経済界とアサヒビールの深い縁は、1951(昭和26)年に始まった福博経済人の集まり「福岡アサヒ会」に象徴されます。福岡玉屋や岩田屋もアサヒビールで乾杯する独自のお客様交流会(タマヤ会、岩田屋会)を持っていたそうで、その辺りの変遷なども元福岡玉屋常務で中洲町連合会の専務理事を永く努められた川原様(玉屋食品顧問)に伺っています。
実は、西鉄ライオンズとアサヒビールの関係も深く、1962(昭和37)年に最初に身売り話が出た際も真っ先に譲渡先として相談したのが、球団や親会社(西鉄)との関係が深いアサヒビールと東芝(鉄道車両部品など)だったそうです。福岡アサヒ会の元会長で、西鉄ライオンズの敏腕スカウトだった中島國彦さんからも以前たくさんのエピソードを伺いましたが、拙著「伝説の西鉄ライオンズ」続編用のネタとして取っていたものの、今のところ発表機会に巡りあっていません。
そういう意味でも、今回の放送は福岡の近代化における壮大な物語の一端…永久保存版かも(^.^)。