今年初めから工事が進んでいた旧西鉄循環線の遺構、福岡高校そばの一善橋ですが、工事が終わり1枚目の写真のようにシンプルかつ綺麗に痕跡なくなりました。
大正3年架設時の記録を記した大正10年製の立派な欄干親柱、工事中も気になって何度か見に行きましたが、その時には既に撤去済み(写真2枚目)でした。すでに解体処分されたんでしょうか?
これ、単に古い欄干というだけでなく、福岡市の都市発展の基礎となる博多電気軌道(循環線)全通を伝える最後の遺構でした。(写真3枚目、4枚目は昨秋撮影)
循環線が全通した当時、路線の約半分は福岡市外でした。その後、堅粕や住吉など沿線町村が続々合併し福岡市の拡大が始まるんですが、当時の福岡市は今ほどの勢力はなく人口8万余の普通の地方都市でした。規模的には長崎や熊本と同レベル、県内では市政施行していない八幡や大牟田が人口激増で福岡市を抜く時代です(炭鉱や製鉄所)。福岡市が独自のポテンシャルを確立し、周辺町村の合併を進め、各町村の承諾を得るために必須の大事業であったことは、市議会史などから読み取れます。
都市発展の礎のひとつが静かに消滅したのですが、何処かに保存された訳ではなさそうで残念です。旧循環線の「福高前」電停は、廃止時に当時の福岡高校の先生と学生有志が西鉄の許可を得た上で校内へ移設し、現在も保存されています。
今回の欄干はさすがに同様の保存も無理だったかもしれませんが、循環線が全通していなければ百周年を迎える福岡高校もこの地に移転していません。その意味では皆で知恵を働かせれば、保存もできた気がして残念です。それにしても、福岡市にも横浜市のような都市発展の歴史を伝える記念館がそろそろ必要な気がします。
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