記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

初三郎資料の発見・確認は出会いと運とタイミングが勝負!

2007年06月15日 21時16分23秒 | 吉田初三郎
 今日の福岡は終日雨模様であった。外出の必要のない日だったの
でデスクワークに専念した。先週、京都で痛めた腰痛がまた痛む。
休憩をとる代わりに、何カ所か初三郎の資料に関して電話連絡を試
みたが、なかなか連絡が付かない。タイミングを逃すと、次に連絡
しようと思っても連絡できない事は多い。

 玉名の博物館に初三郎原画の確認を行う。赴任したばかりの学芸
員の応対であったが、なんとか所在確認は取れた。所有者の寄託資
料として保管しているとのことで、原画自体にかなり痛みがあるそ
うである。寄託者の了解なしに展示できず、過去に1回だけ温泉に
関する企画展で展示したとのこと。佐敷のご遺族はこの企画展を観
に行ったそうである。

 博多水野旅館の末裔・水野氏に電話連絡を試みるが、なかなか連
絡がつかない。この調子でもう半年も経ているので、手紙で連絡を
取ることにして、所有する水野旅館の絵葉書や初三郎作品などをコ
ピーした。水野氏には、初三郎のことは勿論だが、旅館自体の歴史
などをきちんと聞き取りしておきたい。

 もう1件、下関の十千萬洞(とちまんどう)の末裔、大津様にも
何度電話連絡を試みても連絡がつかない。ここは電話しか聞いてい
ないため、根気よく連絡を試みるより仕方ない。4年前のゼンリン
での企画展を観に来られた大津様本人は一昨年亡くなられたそうで、
今は大津様の弟様か娘さんに連絡するより仕方ないのであるが、そ
れがうまくいかない。

 4年前の企画展の際、大津様は初三郎「小倉市鳥瞰図」絹本原画
を持って来られたそうだ。その作品の印刷物や関係資料などが無い
かと尋ねて来られたとのこと。私は展示会場に不在で、応対した方
から聞いて、その後から何度か連絡を試みたが結果、会えないまま
である。タイミングを逃した典型だ。

 その時は十千萬洞が何なのか判らなかったが、初三郎のご遺族か
ら6冊の新聞スクラップ等の資料を拝見し、その中に十千萬洞と大
津様の名前を見つけた。さらに、ご遺族宅から「小倉市鳥瞰図」制
作時の原稿類など資料が見つかり、なんとか大津様に直接話が聞き
たいと思っている次第である。

 今日の写真は、初三郎の高弟・前田虹映の「九州観光図絵」で
ある。昭和15年の作品。この図をはじめ、虹映の九州関係の原画
の発掘もその後進んでいない。なんとかあと半年の間に、いくつか
確認できないかと試行錯誤する日々だ。

前田虹映が描いた博多湾沿岸の作品、テーマ別に頁追加準備中。
http://www.asocie.jp/hakatawan/artscape/

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