記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

福岡の飛行場小史、名島、雁の巣、席田(のち板付)の3飛行場

2007年06月14日 17時18分50秒 | 博多湾
 私は博多駅と福岡空港の間、地下鉄東比恵駅の近くに住んでいる。
地下鉄東比恵駅のシンボルマークは郷土のグラフィックデザイナー、
故西島伊三雄氏がデザインしたもの。東比恵の頭文字「ひ」の字を
アレンジし、両隣の駅が博多と福岡空港という交通の二大要衝であ
ることを表現しているそうだ。

 昨日は福岡の陸の要衝・博多駅のことを書いたので、東比恵のシ
ンボルマークにちなみ、今日は空の要衝・福岡空港や福岡空港以前
の名島・雁の巣両飛行場のことを書こうと思いたった。所有する絵
葉書のデジタルアーカイブも、以下の頁を用意し、福岡の空の歴史
を簡単に紹介している。

●アンティーク絵葉書に観る、懐かしの飛行場
 名島・雁の巣・席田(板付)飛行場編
 http://www.asocie.jp/memory/airport/

 所有する絵葉書には、残念ながら福岡最初の飛行場である「福岡
飛行場」に関するものが無い。その代わり、大正初期の「奈良原式
飛行艇・鳳号」が福岡練兵場(現在の舞鶴公園)で初飛行を試みた
際の絵葉書がある。当時の絵葉書は、現在のTVニュース等と同じ
メディアのひとつだったからである。

 大正期の飛行機が映っている絵葉書の多くは、当時唯一の飛行場
だった大刀洗飛行場から飛んできた軍用機などである。陸軍大演習
時のPR飛行の絵葉書も多いし、博覧会で福岡市上空を低空飛行す
る絵葉書もある。

 昭和になると福岡船だまり(西公園の東側)に福岡飛行場が完成
し運用を始めるが、当時の飛行機は水上飛行機が主流で簡易飛行場
であった。昭和5年には、名島飛行場(水上飛行場)が完成し、そ
れまでの郵便や荷物中心から旅客需要も出てくる。

 名島飛行場では格納庫から大型クレーンで水上へ飛行機を移動し、
水上を飛び立つ姿が地元の風物詩となり、当時の博多名勝絵葉書に
は必ず入っている。かのリンドバーグも名島飛行場に降りたってい
て、当時の空港敷地の跡が名島の東側にそのまま道路のヘリとして
残っていて、記念碑も立っている。

 現在の東区城浜校区は、当時は全て海である。城浜小学校あたり
が水上滑走路であり、沖合にある小さな小島「妙見島」は今では陸
続きとなりマンションが建っている。マンション入口の小高い丘と
緑の茂みが妙見島の名残である。ここには太閤秀吉の「太閤水」も
ある。

 昭和11年になると、大陸との空の玄関口として本格的な飛行場が
雁の巣に完成する。雁の巣飛行場である。正式名称は福岡第一飛行
場であり、水陸両用の「東洋一」の規模と設備を誇る堂々たるもの
であった。それまでの名島飛行場は福岡第二飛行場となる。

 雁の巣飛行場は戦時をはさみ戦後、朝鮮戦争などでも前線基地と
して活用され、板付飛行場が日本へ返還され「福岡空港」となる際
に閉鎖され、今では野球場や菜園などが広大な敷地を占めるレクリ
エーションセンターとなっている。所々、飛行場時代の滑走路跡な
ども残るが、最後の格納庫は数年前に取り壊された。

 戦時下の昭和19年に建設が始まった席田(むしろだ)飛行場は、
福岡地方随一の穀倉地帯に突然現れることとなった。用地は強制収
容となり、地域の農家はわずか10日後までに退去しろと通達されて
いる。強制収容の調印は、現在の東福岡高校の本校舎(当時は福岡
商業)で行われた。

 昭和20年になり学徒を中心に捕虜まで動員されて急ピッチで造成
された席田飛行場の滑走路であったが、戦争末期で残存する飛行機
はほとんど無かったようである。終戦となり飛行場は連合軍に接収
されて「板付飛行場」となる。「むしろだ」という発音が困難だっ
たために変更されたという。

 昭和26年に連合軍の接収が解かれると、民間航空も許されて日本
航空が第一便・木星号を就航させている。昭和47年に米軍から返還
されて現在は国際空港を併せ持つ福岡空港となり世界一便利な空港
として発展を続けている訳だ。

 現在の空港の東側、博多の森公園のある緑地一帯は戦時中は弾薬
庫などが点在していた。戦後まもない航空写真などにはそれらが鮮
明に映っている。現在は東側の道路も拡張され、わずか10数年前の
ガルーダ機事故当時の面影も次第に薄れている。ガルーダ機が離陸
に失敗し横断する県道をつき破った跡が、道路の継ぎ目が色違いと
なっていることで判る程度である。

今日の写真は、妙見島側(現在はみなと百年公園まで陸続き)から
撮影された名島飛行場、昭和8年頃の写真である。一帯は今は埋め
立てられて城浜校区となっている。

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2 コメント

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Unknown (チャイテン)
2010-03-30 19:21:30
はじめまして。東区の千早に実家があるチャイテンといいます。

今は東京に就職して4年目の会社員です。最近、東京の玉川上水の歴史を勉強する機会がありまして、その時に、ふと、博多の歴史について何も知らない自分に気付き、少し勉強しようとネットを見ていて「博多湾つれづれ紀行」の「福岡の飛行場小史」にたどり着きました。

写真を見ているだけでも楽しいですし、飛行場小史のように勉強になる記事も多いですね。これからも、時々立ち寄らせて頂きます。
返信する
コメントありがとうございます。 (mapfan)
2010-04-02 04:29:13
チャイテンさん
コメントありがとうございます。
地元の身近な歴史を知ることは大事だと思います。
地元を離れて気づくことも多いですね。

福岡を中心に、近代写真資料は以下で大量公開中。
このサイトから映画やドラマ、番組、書籍に活用いただいていますよ。
http://www.asocie.jp/archives/
返信する

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