16日夜、西鉄ライオンズOB会の忘年会に出席。河野会長をはじめ、在福
ライオンズOB16名(クラウン時代の2人含)が参加し、故・河村英文さん
の奥様などご遺族、さらにフクニチ新聞(92年休刊)などのライオンズ番
記者OBの方々なども集まり熱狂的なライオンズファン、応援団の丸林ご夫
妻なども参加して、家族的な雰囲気の中、約3時間の夢のような時間とな
った。
司会の久保さん、お疲れ様でした。相変わらずの名司会、名調子で往時
のライオンズ中継を聴いているような錯覚になりました。
余興では、それぞれの皆さんの思い出トークや真相告白、OBの方々が選
手時代にやっていたというゲーム(後輩いびりという噂も)を実際に再現
していただいたり、すでに球団が消滅して35年以上が経っても変わらない
選手たちの絶妙の間とチームワーク、何かをする際にかいま見れる団結力
に往時を重ねる方々も多かったのではないだろうか。
選手はもちろん当時の証言者である記者OBや、永年の後援者たちの話は
いずれも私にとって新鮮で、また新しい出逢いもいただくことができた。
RKB野球解説の加藤伸一さんも、息子さんが高倉さんの少年野球チームで
活躍中ということもあって参加されていたので、挨拶ついでに色々話しを
させていただいた。ライオン16さんにご紹介いただき、高倉さんや加藤さ
んに最初にお会いして、はやくも1年になるのだと実感。
南海のエースだった加藤さんといえば、師匠は河村英文さん。お二人の
様々なエピソード(腐れ縁)は伺っていたが、加藤さんは河村さんの奥様
にお会いするのはこの日が初めてだったとのことで、元タカラジェンヌの
奥様との会話は弾んでいるようだった。
同じテーブルは豪傑揃い。最初に先月、安部さんのお店で豊田泰光さん
とのツーショット写真を撮影してくれたスポニチ西部本社の編集局長・中
島さんにお礼とご挨拶。左隣の席は、先月の天皇在位20周年式典にも参列
したという合屋さん(県技能士会連合会副会長、全国表具経師内装組合連
合会副会長)。ユーモアも交えたライオンズ談義は、まるでお笑い講談の
ようで爆笑。
右隣の席は、九電OB(元役員)の石津さん。仰木さんらと同年代で、宗
像高校時代の思い出や、西鉄ライオンズの応援歴をご披露いただいた。驚
いたのは、昭和29年に新婚旅行で来福したジョー・ディマジオ(米ヤンキ
ース在籍、56試合連続安打など大リーグ記録を持つ、別名安打製造機)が
香椎球場で野球指導をした際、その場にいて指導を受けたのだという。昨
年12月に「記憶探偵キノレオ」で取り上げたが、まさに生き証人がいた訳
である。
九大のライオンズ研究会OBの田北先生(クリニック院長)や松永さんら
西鉄ライオンズ資料収集研究の達人方とも再会、松永さんから当時の「週
刊ライオンズニュース」資料のコピーなど、貴重な資料をたくさんいただ
いた。
フクニチOBの村松さんは、私の仕事をとても誉めていただき、今後色々
とお世話になることになりそう。福岡の戦後世相を一番記録してきたフク
ニチ新聞といえば、先に書いたジョー・ディマジオとマリリン・モンロー
がロイヤルの前身「レストラン花の木」で食事する、今に遺る貴重な名シ
ョットをスクープしたり、長谷川町子「サザエさん」をはじめ、郷土の漫
画家や作家の新人時代から作品発表の場を戦略的に提供し、多くの作家を
育てた新聞。色々、伺いたいエピソードがある。
忘年会はもちろんライオンズOBも大活躍!河野会長や高倉さんの歌も良
かったが、初めて聴いた西村貞郎さん(昭和33年完全試合達成)の歌の上
手さが一番の衝撃だった。豊田さんがいなければ、完璧にダントツ上手い
んじゃなかろうか。二次会では滝内さんの渋い歌も印象的だった。
球団旗、応援旗をOBが囲んでの記念撮影。さらに西鉄ライオンズの歌を
唄って、大団円のうちに忘年会は幕を閉じ、来年の再会を誓った。西村さ
んから今後のことを色々指導いただき、可能なかぎり西鉄ライオンズ文化
の継承をお手伝いしたいと改めて思う。西村さんからは、在京の中西、豊
田、玉造各選手をはじめとする他のOBの来年の参加を期する声明も。
予期せぬ喜び、坂上さんから参加OB全員のサイン入りの寄せ書き色紙を
いただいた。私を含めた一般参加者全員へのクリスマスプレゼントとなっ
た。OBの皆さんのご配慮に感謝。
今日の写真は、応援団・丸林ご夫妻持参の応援旗を囲むOB・ご遺族。
ライオンズOB16名(クラウン時代の2人含)が参加し、故・河村英文さん
の奥様などご遺族、さらにフクニチ新聞(92年休刊)などのライオンズ番
記者OBの方々なども集まり熱狂的なライオンズファン、応援団の丸林ご夫
妻なども参加して、家族的な雰囲気の中、約3時間の夢のような時間とな
った。
司会の久保さん、お疲れ様でした。相変わらずの名司会、名調子で往時
のライオンズ中継を聴いているような錯覚になりました。
余興では、それぞれの皆さんの思い出トークや真相告白、OBの方々が選
手時代にやっていたというゲーム(後輩いびりという噂も)を実際に再現
していただいたり、すでに球団が消滅して35年以上が経っても変わらない
選手たちの絶妙の間とチームワーク、何かをする際にかいま見れる団結力
に往時を重ねる方々も多かったのではないだろうか。
選手はもちろん当時の証言者である記者OBや、永年の後援者たちの話は
いずれも私にとって新鮮で、また新しい出逢いもいただくことができた。
RKB野球解説の加藤伸一さんも、息子さんが高倉さんの少年野球チームで
活躍中ということもあって参加されていたので、挨拶ついでに色々話しを
させていただいた。ライオン16さんにご紹介いただき、高倉さんや加藤さ
んに最初にお会いして、はやくも1年になるのだと実感。
南海のエースだった加藤さんといえば、師匠は河村英文さん。お二人の
様々なエピソード(腐れ縁)は伺っていたが、加藤さんは河村さんの奥様
にお会いするのはこの日が初めてだったとのことで、元タカラジェンヌの
奥様との会話は弾んでいるようだった。
同じテーブルは豪傑揃い。最初に先月、安部さんのお店で豊田泰光さん
とのツーショット写真を撮影してくれたスポニチ西部本社の編集局長・中
島さんにお礼とご挨拶。左隣の席は、先月の天皇在位20周年式典にも参列
したという合屋さん(県技能士会連合会副会長、全国表具経師内装組合連
合会副会長)。ユーモアも交えたライオンズ談義は、まるでお笑い講談の
ようで爆笑。
右隣の席は、九電OB(元役員)の石津さん。仰木さんらと同年代で、宗
像高校時代の思い出や、西鉄ライオンズの応援歴をご披露いただいた。驚
いたのは、昭和29年に新婚旅行で来福したジョー・ディマジオ(米ヤンキ
ース在籍、56試合連続安打など大リーグ記録を持つ、別名安打製造機)が
香椎球場で野球指導をした際、その場にいて指導を受けたのだという。昨
年12月に「記憶探偵キノレオ」で取り上げたが、まさに生き証人がいた訳
である。
九大のライオンズ研究会OBの田北先生(クリニック院長)や松永さんら
西鉄ライオンズ資料収集研究の達人方とも再会、松永さんから当時の「週
刊ライオンズニュース」資料のコピーなど、貴重な資料をたくさんいただ
いた。
フクニチOBの村松さんは、私の仕事をとても誉めていただき、今後色々
とお世話になることになりそう。福岡の戦後世相を一番記録してきたフク
ニチ新聞といえば、先に書いたジョー・ディマジオとマリリン・モンロー
がロイヤルの前身「レストラン花の木」で食事する、今に遺る貴重な名シ
ョットをスクープしたり、長谷川町子「サザエさん」をはじめ、郷土の漫
画家や作家の新人時代から作品発表の場を戦略的に提供し、多くの作家を
育てた新聞。色々、伺いたいエピソードがある。
忘年会はもちろんライオンズOBも大活躍!河野会長や高倉さんの歌も良
かったが、初めて聴いた西村貞郎さん(昭和33年完全試合達成)の歌の上
手さが一番の衝撃だった。豊田さんがいなければ、完璧にダントツ上手い
んじゃなかろうか。二次会では滝内さんの渋い歌も印象的だった。
球団旗、応援旗をOBが囲んでの記念撮影。さらに西鉄ライオンズの歌を
唄って、大団円のうちに忘年会は幕を閉じ、来年の再会を誓った。西村さ
んから今後のことを色々指導いただき、可能なかぎり西鉄ライオンズ文化
の継承をお手伝いしたいと改めて思う。西村さんからは、在京の中西、豊
田、玉造各選手をはじめとする他のOBの来年の参加を期する声明も。
予期せぬ喜び、坂上さんから参加OB全員のサイン入りの寄せ書き色紙を
いただいた。私を含めた一般参加者全員へのクリスマスプレゼントとなっ
た。OBの皆さんのご配慮に感謝。
今日の写真は、応援団・丸林ご夫妻持参の応援旗を囲むOB・ご遺族。