昭和初期の絵葉書にも写っている山国川・羅漢寺橋下流の川底橋「通称:犬走り」は、昨夏の水害でも小被害に終わったようですね。明治末、大正期の絵葉書にも写っている生活道路の犬走りって、意外に水害に強いんだなと思いました。通行止めの5連の馬渓橋などは地元住民から架け替え意見も出ているようで、土木の専門家ではありませんが、素人目でみて橋の構造や在り方の再考のヒントがある気もします。
以下、2枚目の写真の犬走りの後方は耶馬渓一の景勝「競秀峰」。福沢諭吉が乱開発から私費を投じて守った景観です。
この地は鳥瞰図絵師「大正広重」吉田初三郎の原点とも言える地。大正3年、羅漢寺「指月庵」に滞在中、「耶馬渓鉄道」開業記念の鉄道沿線図制作のための踏査取材を続けているところへ、京阪電車・太田 光凞(おおたみつひろ)常務から鳥瞰図の処女作である「京阪電車御案内」が男山八幡を卒業旅行で訪れた皇太子、のちの昭和天皇から「これは奇麗でわかりやすい、持ち帰りたい」と嘉賞された旨を電報で伝え聞き、この地で「生涯図絵報国」を誓ったといいます。太田はのち京阪電車社長となり、耶馬渓からほど近い英彦山神宮に初三郎作「英彦霊山鳥瞰図」巨大画を奉納した人物です。
初三郎は大正3年に発刊した「耶馬渓御案内」を皮切りに、大正15年まで確認入手した限りで8回の改訂版を発刊しており、耶馬渓への強い思い入れも伝わってきます。大正15年発行の作品の構図・絵柄は、戦後に中津耶馬渓観光協会が何度か発行した絵地図にそのまま受け継がれ、平成に入るまで初三郎式の観光マップが活用されました。
以下の写真は昭和8年頃の羅漢寺橋とその下流の川底橋「犬走り」が写った絵葉書(部分拡大)。
以下は、吉田初三郎「耶馬渓御案内(大正3年)」表紙。