記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

豪雨被災地と無被害地の差を古絵葉書・過去の水害写真集から考察

2017年08月05日 12時53分52秒 | 福博まちの記憶

朝倉杷木や日田の豪雨被害から1ヶ月、KBCの特番「水と緑のキャンペーン」を見つつ、今回の被災地と被災が無かったエリアの歴史風土や地形を少し意識中です。豪雨から2週間後の7月20日、豊前の実家から国道212号経由で386号に入り、日田・杷木・朝倉まわりで博多へ戻りました。

耶馬渓や日田も通行止めの道路の先に見える豪雨被害の光景は予想以上に厳しいものでしたが、それ以上に杷木周辺の光景は目を覆いたくなるほどの惨状。幸い近隣にお住いの複数の知人に大きな被害はなく、毎年秋の柿狩りでお世話になる杷木久喜宮の日吉神社(原鶴温泉そば)も被害は無かったようです。

山田井堰東側の志波一帯は壊滅状態でしたが、それを抜けると山田恵蘇宿の「隠家の森」一帯はまったくの無被害であることも驚きです。そのすぐ先の山田集落や菱野の三連水車一帯は壊滅状態なので、わずかな距離間の被害落差が際立ちました。

掲載した写真は20日に撮影した「隠家の森」周辺と大正初期および昭和初期の絵葉書です。全国第8位の巨木、『筑前国続風土記』にも記された鎮守の森一帯に家が建ち始めたのは、解説板によれば昭和28年の西日本大水害で一帯が大被害だった後とのことです。

この楠は筑後川流域の水害史をずっと見てきたということですね。

災害の記憶を後世にどう伝えるかは難しいところですが、一級河川である筑後川流域については、大水害のたびに記録写真帖が発行されていて、私も昭和28年の西日本大水害時の記録写真帖などを所有しています。

それに加えて国土交通省が平成17年から19年にかけて筑後川流域を上中下の3流域に分けて「筑後川流域のなつかしい写真募集」プロジェクトを進め、貴重な写真で構成された写真集を3冊制作しています。3冊を改めて見返すと、今回や5年前の豪雨で大被害が出た付近の以前の水害記録写真も多数掲載されていますね。

これら写真集は一般頒布されたものではないようですが、私は少々関わったので見本を所有。この写真集の素晴らしいのは、写真の素性だけでなく写真提供者のデータまで一覧で記載しているところです。私は防災等の専門家ではないのであくまで古写真や古地図の研究家としての意見ですが、これら写真集は地域でもっと共有して、水害等に遭遇するエリアへの宅地進出などを再考する材料になればいいなと思います(活用されているなら良いのですが)。


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