記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

博多湾沿岸、近場で古代史の浪漫に浸る

2007年05月05日 09時57分06秒 | 博多湾
 今日は子供の日、あいにく福岡はどんより空。予定していた海の中
道海浜公園行きを止めて、午後から近場の日帰り温泉にでも行くこと
にした。

 3日は午前中仕事をし、午後は娘と一緒にどんたく見物に出掛けた。
どこを見ても人ばかり。昭和30年代には20館を数える映画館があ
った中洲(東中洲=地元の人はひがしなかずと呼ぶ)も今は大洋劇場
を残すのみ。その大洋の前を人混みをかき分け通っていると、もうす
ぐ公開の映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパロ
ウ等身大人形が!どんたくで賑わう中、写メ撮影する人々に囲まれて
いた。

 映画館の前では知人の大洋・山口氏がどんたく店頭販売をしていた
ので挨拶し、ふと見ると「ゲゲゲの鬼太郎」上映中(笑)。娘が見た
いと言うので、そのままふらりと映画館へ入り愉しんだ。昨年、大洋
が60周年を迎えた時にここの館内で「中洲の絵葉書展」を担当して
開催したことを思い出した。

 4日はほぼ終日仕事、午後少しだけ娘が行きたいと言っていた板付
遺跡の見学に出掛けた。国史蹟の板付遺跡は社会科の教科書にも必ず
載っている稲作集落遺跡だ。

 福岡にいても案外、近場の史蹟に足を運ぶことは少ない。鴻臚館跡
や那津官家(比恵)遺跡はじめ、金隈など市内には至るところに古代
史蹟が点在している。吉野ヶ里が有名になったが、吉武・高木遺跡な
ども規模や時期でも吉野ヶ里に匹敵する弥生集落跡である。

 奴国、伊都国はじめ、邪馬台国時代の史蹟も多く、平原遺跡で出土
した内行花文鏡は国内最大の古代鏡。出土した昭和40年代始め、日本
中に古代史ブームが起こる先駆けとなった。三国志時代の証拠、志賀
島の金印は言わずと知れた国宝である。

 市内に多数点在する70m級の前方後円墳の存在は、大和地方の天
皇陵よりも時代が早く、また勅使が来る香椎宮など創建が古い寺社の
存在も博多湾沿岸の地の歴史の古さと重要度を物語る。しかし、私も
絵地図「博多湾周遊絵巻」作成のために取材するまでは、これら史蹟
等に足を運ぶことは少なく、また存在も知らないものも多かった。

 昨日、板付遺跡を訪れた際も、私と同じ小学6年の子供連れのお母
さん5組を弥生記念館で見たが、理由は我が家と同じで子供が丁度、
弥生時代の歴史を学んでいるからであろう。メディアが発達した今、
実地学習などの必要性も薄れているのか、市内の小学校でもほとんど
近場の史蹟を訪れない。しかし、今も昔も実地・現物見学が一番であ
る。もっと一般市民にも足を運んでほしいと思う。

 福岡市西区には「歴史よかとこ案内人」というボランティアガイド
が存在する。主メンバーは「西区まるごと博物館」推進会で一緒に活
動する仲間でもある。大半が定年を迎えた男性陣だが、活発に活動を
している方々の経歴を聞くと、大手企業の支店長クラスだった方が多
い。これから大量に定年となる団塊の世代の方々の中にも福岡を気に
入り他の土地から住み着いた方が多い。ぜひ福岡・博多の持つ奥深い
歴史にも触れてほしいと思う。

 今日の写真は博多どんたくの賑わい、中洲大洋前

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