記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

再開発で変わる須崎公園エリアの景観変化を記録する

2023年08月25日 21時24分30秒 | 福博まちの記憶

須崎公園に建設中の「福岡市拠点文化施設」外観が見えてきました。新しい施設の開館予定は2025(令和7)年春、60年前の1963年10月に完成した現在の市民会館の余命はあと少し…。

須崎公園の敷地、もともとは藩政時代はお台場や監獄があったそうで、1911(明治44)年に博多電気軌道(のちの西鉄福岡市内線循環線)が開通した頃まで監獄だったとか。当時の絵葉書にも写っています。その後、大正期にかけては跡地で工業博覧会などが何度も開催され、今から100年前の1923(大正12)年に福岡女子専門学校(福岡女子大学の前身)が敷地北側の福岡県立美術館付近で開校。1945(昭和20)年6月の福岡大空襲で須崎公園エリアも被災し、公園の敷地は戦災復興住宅などが立ち並んだそうです。

実はこのあたりの古地図や絵葉書・古写真も体系的に収集していて、それら資料はご縁あって6月24日(土)に創立100周年の県立福岡女子大学の「生涯学習カレッジ2023」での私の講座「福岡女子大学をめぐる天神と香椎の歴史」で初公開しました。そのあたりのお話は別途で投稿します。

須崎公園や福岡市民会館など界隈の歴史を紐解くだけで、福岡市発展の歴史を理解できます。拠点文化施設の完成は当初計画から遅れるそうですが、完成までに福岡市民会館は閉館予定。今年、1963(昭和38)年が開館から60年ということで、6月には企画をお手伝いしているFBSめんたいワイド「ひと駅ノスタルジー」で福岡市民会館特集を放送しました。普段は潜入できないバックヤードなどにもカメラを入れ、記録映像としても残したいと思ったので提案させていただき、市民会館側の全面強力で良い内容となりました。このあたりの裏話もまたの機会に投稿します。

天神ビッグバンや博多コネクティッドなど、福岡市中心部で進む再開発。刻々と変化する景観や工事風景は日々撮影しています。上の写真は、福岡ボートへの連絡橋から建設中の拠点文化施設を撮影したものですが、手前に西鉄の連節バス(BRT)を入れ、須崎公園とともに記録写真として撮影。欲を言えば、連絡橋の東側に見える福岡藩政時代からの「石垣」も構図に入れたかったけど、無理でした。別アングルで大濠公園への新築移転が計画されている福岡県立美術館と石垣を今度は撮影してみたいなと思っています。

那珂川を挟んで須崎大橋の東端から建設中の拠点施設を撮影。このアングルだと背後にKBC九州朝日放送のテレビ塔が来るので、また違った都市景観の記録になります。最近は手軽にスマホで撮影してしまいますが、本当はちゃんと一眼レフで記録撮影すべきだろうなと思いつつ…。

 

天神の過去と今をつなぐ(西日本新聞meの連載)

・にしてつWebミュージアム(企画構成を担当)

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