記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

福岡県で最初の学校給食

2011年04月28日 00時20分30秒 | 福博まちの記憶
福岡県で最初の学校給食は昭和10年4月、奈良屋小学校で始まったもの。校医を務める熊谷医師が「偏食を治し体位向上には給食が最良」と指導し、西中洲の富田勝次郎の施設寄付で実現。同年、富田の孫娘が通う春吉小学校でも始められた。

日本最初の学校給食は明治22年(1889年)、山形県鶴岡町(現鶴岡市)の私立忠愛小学校だと言われる。各年代ごとのレシピが残り、学校給食のサイトでも写真入りで紹介されている。福岡市の2つの小学校で始まった給食は、全国的にみても3番目の早さだったようだ。

学校給食の歴史

先週入手した掲載の絵はがき3枚は、春吉小学校で給食が始まった際に発行された記念絵葉書。春吉小学校は先進的な取り組みも多く、臨海学校やラジオ体操などの実況も記念絵葉書として遺っている。記憶探偵的には「サザエさん」長谷川町子の通った小学校でもある。

古い絵葉書を体系的に集めて判っているのは、先進的な取り組みをしていた学校は絵はがきを発行し、児童家族だけでなく広くPR目的でも配布していたこと。

カメラや写真が貴重品だった時代、地域の記録は写真館が担当しており、その写真館が絵はがき印刷機を持っていれば絵はがきを製作。無ければ写真の焼き増しで対応していたこと。現存する写真館を複数取材して確認済み。

明治末から大正期にかけて、写真は珍しいものであり、新聞も今のような普及はしていない。テレビやラジオは勿論ない。雑誌も写真掲載はされておらず、印刷技術の進歩が最初に反映される絵はがき印刷機の普及で、全国各地の津々浦々町や村に「絵はがき屋」が乱立した。震災や大事故、天皇の巡幸などニュースもみんな絵はがきとなって庶民の手元へ情報が伝えられた。

絵はがきに魅力を感じ、資料性の価値を見いだしたことで15年来収集している訳だ。



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