2022(令和4)年5月29日、久しぶりに福岡空港脇を通ると、ついに西日本空輸の格納庫など施設の解体工事が始っていました。
ビートルズ来日の頃、1966(昭和41)年6月、雁の巣飛行場から移転開設当時からの建物です。当時はまだ米軍板付基地の一角を福岡空港(板付空港)として使用していた時代。現在の国際線ターミナル一帯は板付基地でした。
以来、西日本空輸の建物は54年余にわたって福岡空港の発展を見守りつつ、空港景のひとつとして存在感がありました。2020(令和2)年3月に新設された福岡市東区「奈多ヘリポート」への移転が完了していたので、解体は時間の問題でしたが、いざ解体が始まると寂しいものです。
以下、2年前にこの件はブログにも投稿しています。
福岡空港にある板付基地時代の名残りの門柱
正門脇の「西日本空輸板付基地」銘板も撤去されるようです。昔の絵葉書やパンフレットにも映り込んでいる建物で唯一、米軍板付板付基地のあった頃から遺っていた建物でした。
今年、2022(令和4)年は、米軍板付基地など福岡市とその近郊にあった米軍基地が返還されてから50年です。返還と時を同じくして福岡市は政令指定都市となりましたが、戦災で焼け野原となった福岡市の戦後復興と米軍基地の関係は忘れてはいけない事柄でもあります。福岡も今の沖縄と同じく「基地のまち」だったのです。振り返れば、基地の返還は福岡空港と福岡市が発展する上で、大きなターニングポイントでもありました。
できれば「ひと駅ノスタルジー」で、米軍板付基地の痕跡のひとつとして「西日本空輸板付基地」施設や、東平尾の山肌に遺る旧米軍施設(現在は福岡市埋蔵文化財センター月隈収蔵庫)、竹下駅から板付基地へ続いていた貨物線跡などを取り上げたいと思っていましたが、諸々タイミング悪く実現せず。
実は7年前のKBCドォーモ「戦争遺産」シリーズでも、福岡空港の前身・席田飛行場の建設秘話と米軍基地の痕跡は一部取り上げ放送しましたが、実はこの時もロケしたものの半分ほどしか放送できませんでした。
個人的に、西日本空輸の格納庫の丸く青い屋根は、かつての福岡スポーツセンターを彷彿とさせる佇まいでお気に入りでした。なので、意識的に航空機の背景に入れて撮影した写真が膨大にあります。上の写真は国際線ターミナルの展望デッキからの撮影。
滑走路の増設に向けた大規模な工事が進む福岡空港。国際線ターミナルを含めて、福岡空港がこれからどう進化していくのか、自宅から近く散歩コース上にある利点を活かして、これからも観察・記録撮影していこうと思っています。