明治末の「博多にわか畳屋組」絵葉書。芸どころ博多の伝統芸からは様々な演芸人が誕生。博多にわかの刻印のある稲荷神社の鳥居も気になりますが、最近気づいてまだ調べてない事ですが、絵葉書に写っている方の一人はひょっとして初代・博多淡海ではないでしょうか。いや、ひょっとしてにわか師を全うし文化を継承した博多玄海と、舞台芸能へ進む博多淡海のそろい踏みかも。
二代目淡海は、松竹新喜劇の藤山寛美との名コンビで昭和40年代に一世を風靡。そして三代目淡海こと木村進(福岡市立東光中出身)は、吉本新喜劇で間寛平との名コンビで大活躍も、1988年に淡海襲名披露福岡公演の最中に脳内出血で倒れて芸能界を引退し、昭和の終わりとともに第一線から姿を消しています。親子三代の淡海物語をいつか執筆したく、木村さんはぜひ一度お会いして取材したいお一人。
一番最初の写真の左端は,私の曾祖父(母方)の博多玄海です。曾祖父が「博多にわか」をしていたくらいしか知りませんでしたが,このような写真が残っているとは・・・・。また,紹介してくださる方がいることを知り,うれしく感じております。ありがとうございます。